「大丈夫だよ。絶対、治るからね」
学童保育クラブ室の玄関口でむずかるタカシ君(仮名)の頭をなでながらなぐさめているのは保育士のまゆみ先生(仮名)。仕事を終え、迎えに来たお母さんを見るや否やタカシ君は泣き出した。
「新1年生が学童保育に入所してきたのが嬉しくて、2年生のタカシ君は新入生の世話をしていました。ところが、慣れてきた1年生から『タカシ君は言葉がおかしい』と吃音(きつおん)をなじられ、そのショックで午後から元気がなかったのです。お母さんを見てホッとしたのでしょうか」
これを聞いたお母さんは気丈に言う。
「先生、これまでも何回も吃音のことでなじられたことがあるので、免疫が出来ていますから大丈夫です。ね、タカシ」
保育園では、タカシ君の吃音への対応については、4歳の入所時から取り組んできており、最近では、ずいぶんスムーズに話せるようになってきていた。それでも、新1年生には聞きとりにくかったのだろう。
その光景を目にしたベテランの保育士が、涙ぐむタカシ君とお母さんに声をかけた。
「タカシ君、つらかったね。でも、よくがんばったよ。先生も小学生の頃、友達から意地悪をされて悲しかった。お母さんに話すとね、『お母さんは、ふっくらしたあなたが大好き。今のあなたは素敵よ』って言ってくれて、元気になっていたよ。お母さん、スラスラと上手に話すことのできないタカシ君ではダメですか」
「いいえ。今のタカシでいいです。私もスラスラと上手に話ができなくても、今のままのタカシが大好きです。大好きだよ、タカシ」
お母さんはタカシ君を強く抱き寄せた。その時、タカシ君の目から大粒の涙がこぼれた。お母さんも、まゆみ先生も涙ぐんだ。
落ち着いた2人の親子はまゆみ先生に別れ告げ、家路に着いた。ただ、保育園を後にする母子の後姿に、どことなく寂しさを感じたのも確かだ。園長である私は、二人を見送りながら、保育者としてそれぞれの家庭をどのように支援していくべきなのか――大きな課題を突きつけられたような気がした。
タカシ君の母親は離婚後、2人の小学生を抱え、仕事と子育てに孤軍奮闘中だ。前夫によるDVトラウマはまだ癒されていないうえ、近隣に身内もいないので、頼るところも少ない。まだ、仕事に就いたばかりで経済的不安も抱えている。そんな厳しい環境の中にいるタカシ君の家庭への子育て支援はどうしていけばいいのだろうか。
吃音への対応はいうまでもない。急かすことなく落ち着いた対応を心がけ。タカシ君が安心して生活できる環境をつくっていかねばならない。一方、母親に対しては吃音への対応の仕方や生活に対する行政からの支援策などの情報提供が大切だ。
さらに、ストレスにさらされた心のケアなども考えられる。そのためには、さまざまな専門機関と連携をとり、助言と協力をもらいながら実践していこう――そのようなことを学童保育スタッフと話し合ったのだった。
そもそも保育士とは、児童の保育および保護者等への保育に関する指導を行う専門職だ。2001年に「保母」は「保育士」と名称が変わり、国家資格となった。
それまで「子どもの保育」だけに専念しておけばよかったのが、国は「子育て家庭を支援していくこと」も保育士の仕事に位置づけた。働く女性の増加や少子化・高齢化等を含む社会の変化に伴い、子育て環境もずいぶん変容して、気になる子どもの育ちが目についてきたからだ。
とはいえ、多様化していく家庭にふさわしい支援方法を模索し、実践していくことは、なかなか難しい。現場は、目の前の子どもたちの保育と家庭支援に今日も大わらである。
畠中親德(はたなか ちかのり)
1953年、肝付町出身。都留文科大学文学部および大谷大学文学部を卒業後、養護学校教諭、小学校教諭を経て、1991年から地元で社会福祉法人・光西福祉会高山保育園の園長および宗教法人・真宗大谷派光西寺の住職を務める。
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