【きもつき情報局】古代のロマンの地で感じた本物の田舎力

午前中、地元を代表する郷土史家でもあるおじさんの家に行ってきました。目的は、おじさんの家で出る井戸水をもらいにいくこと。本当は長居するつもりはなかったのですが、家に着いて、おじさんにあいさつにいったところ「いつものとおり」おじさんから歴史の講義を受けることになりました。当然、長居せざるをえません。
大隅は古代日本の中心地だった?!
今日のお題は「大隅邪馬台国説」。なんでも、おじさんが最近読んだ本の中で、邪馬台国はわたしたちの住む、この大隅にあったという説が出てきて、それを読めば読むほど大隅が古代日本の中心地であったと思えるようになったということです。もちろん、真相はわからないわけですが……
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実は、その本の中にも出てくる説として、そのおじさんの家からそう遠く離れていない東串良町の唐仁(とうじん)集落にある大塚神社が実は卑弥呼のお墓であるというのがあります。卑弥呼といえば、『魏志倭人伝』に出てくる倭国の女王です。その女王のお墓がすぐ隣町にあるというのですから、なんともエキサイティングな仮説ではありませんか。
その大塚神社があるところは実は古代の古墳(唐仁古墳群の中心的古墳)で、神社の社殿が建っているところに石棺があり、その本によれば、その中に卑弥呼が葬られた可能性があるかもしれないとのことです。
大塚神社へはこれまで何度も足を運び、社殿も何度か見てはいたのですが、社殿の下に石棺があることはまったく知りませんでした。目には入っていたでしょうが、意識していなかったのでちゃんと見えてはいません。
おじさんが教えてくれたとおりの場所を見ると、あります、あります、確かにあります。石棺の上に置かれた大きな石のふたがいくつか見えます。
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も、もしかして、この下に卑弥呼の遺体がある?!
おじさんによると、今までこの石のふたをとって調査したことは一度もないということです。将来、ちゃんとした調査がされるといいんですけどね。でも、ある意味、そのままにしておくというのも悪くない選択なのかもしれません。真相がわからない分、人間の想像力をかきたててくれるからです。
※訂正:おじさんに再度確認したところ、正確には、昭和の初めに2度、調査があり、この石のふたをとって中の石室までは入ったそうです。しかしながら、その石室にある石棺までは開けたことがなく、したがってそれが卑弥呼のものなのかどうかは、わからないままなのだそうです(2012.10.1記)。
いずれにせよ、石のふたに触れながら、古代世界のことを考えるというのはちょっとした知的興奮となったのでした。
おばあちゃんたちの自然なホスピタリティ
さてさて、もっとおもしろいことはその直後に起きました。
何が起きたのか、といいますと、神社に着いて車を止めようとしたら、そこで掃除をしているおばあさん三人組に出会い、彼女らにお茶に誘われ、1時間ほど世間話をすることになったのです。
正確にいうと、最初、社殿に向かい、石棺のふたに触れた後、神社の入口に戻ってきたところで、三人組のうちの二人から「写真を撮っくれんね」といわれて写真を何枚か撮ってあげてからお茶に誘われたのです。
「あんたは、どっから来たのね?せっかくだから、お茶でも飲んでいきなさいよ」
場所は、神社の前に建っている郷土研修館という建物。もちろん以前に見て知ってはいましたが、その中に入ったのは初めてです。一種の博物館ともいえる施設で、いちばん広い部屋には付近の遺跡から出てきたと思われる土器類やその他の展示物が飾られています。
おばあちゃん三人組とお茶をしたのは、展示室とは別の8畳ぐらいの部屋です。すぐ隣に小さな台所があり、一人のおばあさんがお茶を入れてくれて、お茶菓子もたくさん出してくれます。
また、もう一人のおばあさんは「家から何か持ってくるよ」といって家に戻り、大きなナシやぶどうなどを抱えて戻ってくるではないですか。
「おばさんたち、もう何もお構いなく。そんなに気を使わないでください!」
と訴えるのですが、聞いてはくれません。「これ食べなさい、あれ食べなさい」とうちの田舎特有の接待攻撃が続きます。
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聞くと、みなさん80代。最高齢は84歳です。幸い、みなさん元気な様子で、その84歳のおばあさんなど今もバイクに乗って買い物や温泉に行くのだそうです。
「昔の年寄りに比べて、わたしらは本当に恵まれているよね。日本は豊かになった。豊かになりすぎたよ」
帰国して5年になりますが、ぼくにとっての田舎暮らしの最大の楽しみは、こうしたお年寄りとの何気ない会話だといえます。どこの馬の骨かわからない、ぼくのようなよそ者に対して、たいがいの場合、自然な好奇心と限りない包容力を見せ、迎え入れてくれるこうしたお年寄りのホスピタリティ(もてなし)がたまらなくステキだと思うのです。
実は、この週末はわが町で「情報化推進ウィーク」という一連のイベントがあって、関東や関西、北部九州といった各地から20名近い人たちが町を訪れていました。その人たちと交流するなかで、彼らが指摘していたのが自然のすばらしさ、食のすばらしさ、そして人のすばらしさでした。
まさに、それこそが「田舎力」です。特にその中でもぼくにとってこの大隅の最大の力はヒト(人)の包容力です。さきほども書いたように、ふと訪れた旅人を自然に迎え入れ、そして平気で自分の家に招いてお茶やつけものをふるまう――そんな自然なホスピタリティを見せられたら、どんな旅人であっても、彼らはその土地の、そしてその土地に生きる人たちのファンになってしまうに違いありません。
地域の再生において、そうしたすばらしい力を眠らせておくわけにはいきませんよね。
必要なのは、そのすばらしい力をより多くの人に体験してもらうための仕組みづくりです。情報発信も大事ですが、バーチャルな世界だけではものたりません。やはり、リアルな世界で、わたしたちの地域に住む田舎力たっぷりの人たちと触れ合うシステムというかメカニズムをつくっていかなければなりません。
この田舎に生まれ育ったぼくでさえも彼らのホスピタリティに感激するわけですから、都会から訪れた人たちの感激を想像するに、ものすごいものがあるのではないでしょうか。
ぼく自身、これまで海外や日本の他の地域から友人・知人がやってきた際には、できるだけ土地の人たちと触れ合う機会を演出してきました。これからはそうした個人の領域を越えて、もっと組織的にそれができるよう、さらに頭を使いながら、訪れる人と迎え入れる人たちの両方が喜べる仕組みをつくっていこうと思います。
今日偶然出会った三人組のおばあちゃんたち、まこちあいがともさげもした(本当にありがとうございました)!また行かせっくいやんせ(また行かせてくださいね)!

有留修(ありどめ おさむ)

1959年、肝付町出身。日米の大学で国際関係論を学んだ後、時事通信社やTBSなどで国際報道記者を務める。90年代初めに再び渡米、ジョンズホプキンス大学大学院で修士号を取得。帰国後はインターネット業界に転じ、マイクロソフト社ではニュース部門の立ち上げを指揮。その後、独立、2000年には上海とロンドンに拠点を移す。2007年帰国、田舎と世界を結んだ地域活性化事業を手がける。2012年春から約2年間、NPO法人 きもつき情報化推進センターの事務局長を務めた。

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