【きもつき情報局】中国人禅僧が結ぶ肝付と鎌倉の縁

きもつき情報局で何度かご紹介している肝付町本城の道隆寺跡。今の時期は赤や黄色に色づいた紅葉でいつもにも増して趣が感じられる場所となっています。
この道隆寺はもともと鎌倉時代に南宋から渡来し、鎌倉で建長寺を開山したことで知られる禅僧・蘭渓道隆が、その建長寺開山の前に開いた寺です。残念ながら、明治初期の廃仏毀釈によって破壊されたため建物は残っていませんが、その跡地は土地の持ち主である福谷平(ふくたに たいら)さんたちによって昭和59年から徐々に整備され、たくさんの五輪塔や宝塔、逆修供養塔などが土の中から掘り起こされています。
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普段はあまり訪れる人もない肝付町本城の道隆寺跡
歴史的にみても非常に価値の高い、その道隆寺跡を、寒さが強まった12月11日、鎌倉から建長寺の吉田正道管長一行が訪れました。
管長らによる道隆寺跡訪問は今回で4回目となりますが、建長寺の関係者が道隆寺跡を訪問するようになったのは平成21年からです。建長寺の関係者による調査で蘭渓道隆禅師にゆかりのある道隆寺について知ることとなり、毎年訪れるようになったとのことです。
正午過ぎに到着した一行を出迎えたのは、福谷さんをはじめとする地元の有志や道隆寺との関係が深かった志布志市の大慈寺の住職、そして県の文化財保護指導委員などです。後からは町長や教育委員長なども加わり、歓迎の輪は次第に広がっていきます。
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福谷さんにあいさつをする吉田管長
車から降りた管長は福谷さんたちとあいさつを交わしてすぐに寺の跡地へ向かい、敷地内に立っている観音像の前で読経を始めました。近くを流れる川のせせらぎの音や鳥の鳴き声とともに、格調高い読経があたりに響き渡ります。
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ひっそりとした中に読経する声が響き渡ります
しばらくそこでの読経が続いた後、管長らはその場を離れ、敷地内にある数々の石塔をめぐり、線香を手向けていきました。一通りそれが終わると、再び観音像の前まで戻り、管長らが読経を続けるなか、集まった人たちが次々に献香しました。その後、福谷さんからの申し出で集まった人たち全員で記念撮影を行い、管長らによる訪問は終了しました。
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みんなで記念撮影
約1年ぶりに現地を訪れた管長に道隆寺訪問の意味を尋ねると、「(道隆寺は)日本に33年間おられた大覚禅師(蘭渓道隆)が最初にお寺を開かれたところ、最初の布教の地ですから非常に縁が深い。また、(福谷さんをはじめとする地元の方々に)一生懸命お守りいただいていますから、毎年一度はぜひお参りしたいと思ってきております」と語り、鎌倉時代に大覚禅師が築いた肝付と鎌倉の縁の深さに感じ入っている様子でした。
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だれにでも気さくに声をかける吉田管長
本来ならそこでお別れとなるところでしたが、福谷さんが近くにある実家へ全員を招き入れました。福谷さんの実家は石蔵や納屋のある昔ながらのつくりで、田舎の家が持つ、なんともいえぬ懐かしくてやさしい風情があります。
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福谷さんの実家ではきもつき流のおもてなしに感激
そこに用意されていたのはお茶と手づくりの郷土料理の数々。管長をはじめ、集まった人たちは目の前に並べられた野菜天ぷらや柿、栗、きのこ、さつまいもの団子などに舌鼓を打ちながら、しばし談笑の時間を持つことになりました。
管長も「わたしが育ったのはもっと田舎の山の中でしてね」などと話しながら、きもつきのおもてなしを十分楽しんでいる様子です。
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全員総出でお見送り
この日のために準備してきた福谷さんは、「毎年訪問してくださって、ありがたいことです。こうして現代でもつながりができたのは、それだけ蘭渓道隆禅師が高僧だったことを示しているのではないでしょうか。禅師のおかげでつくられたご縁を大事にしていきたいです」と、こうした交流が今後も続いていってほしいと語りました。
ちなみに、今回の交流では福谷さんから建長寺訪問の話が出て、管長はその申し出を快く承諾、来年5月には希望者を募って同寺を訪問するツアーが提案されました。その昔、蘭渓道隆禅師が結んだ肝付と鎌倉の縁は、それから700年あまりが経った今もなお続き、これからさらに深まろうとしています。
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