【きもつき情報局】山間の集落に響きわたる伝統の音色 「コタコン」

山と清流に囲まれた美しい自然環境と国の登録有形文化財に登録された中学校の木造校舎があることで知られる肝付町川上地区は、昔からの伝統を大切にしているところでもあります。今回のきもつきレポートでは、同地区で今年の元旦に行われた「コタコン」と呼ばれる伝統行事を紹介します。
絶滅の危機に瀕した伝統行事
このコタコンという行事、お正月の晩に子供たちが集落内の家々をまわり、家の軒先に置かれた臼(うす)や丸太などを手づくりの杵(きね)でたたき、五穀豊穣や家内安全などを願うというものです。もともとは、年末に逆さにされたり、ふたをされたりしていた各家の臼を正月に起こしてまわることが起原とされ、いわば臼の使い始めの儀礼としての意味があったようです。

臼や丸太をたたいた時の音のリズムに合わせて歌う「コンコン コタコタコンコン」という独特の節回しの歌があり、その音からコタコンという行事の名称が生まれたという人もいますが、真偽のほどはわかりません。「子どもが来る(集まる)ことからきている」という説もあれば、「子だくさんにつながる」という説もあります。

いずれにせよ、その歌を歌いながら軒先に置かれた臼や丸太をたたくと、家の主から餅やお菓子、そしてお年玉などが子供たちにふるまわれます。なんだか「日本版ハロウィーン」とでも呼べそうなとてもユニークな行事ですよね。

子供たちがたたく杵の音に合わせて手拍子を打つお年寄り
今回取材したのは、川上地区の片野集落の親子会が主催したコタコンです。その片野集落には木造校舎の中学校があるほか、近くを流れる川がつくりだす美しい片野の滝もあります。>

以前は小学生の男の子が中心だったそうですが、この片野集落でも少子高齢化が進み、行事の担い手が中学生や高校生になっています。また女の子の参加もあります。しかし、近い将来、その中学生さえも集落からいなくなってしまうということで、コタコンが今後も存続するかどうかは、わからなくなってきました。

かつては全国で、また肝付町でも各地で行われていたといわれるコタコン。現在では、鹿児島県内でも残っているところはごくわずかだということで、そうした貴重な行事がこの川上から消えてしまわないことを祈るばかりです。
すべて手づくり
まずは、午後1時から地区の集会場にコタコンに参加する中学生や高校生が集まり、大人たちの指導の下、大事な道具である杵をつくっていきます。杵は毎年つくりかえる必要があるからです。直径4、5センチほどの真っ直ぐな木を切って柄にするほか、頭の部分には直径12センチほどの松の木が使用されます。材料はすべて地元産であることはいうまでもありません。
集会場に集まり道具づくりから始めます
作業はのこぎりで一つ一つ柄の長さをそろえていくところから始まります。少しでもきれいに見せるために皮を削り、白木状態にした松の木を木ねじで柄に固定していきます。これまで何度か参加している生徒はドリルの使い方なども手慣れたもので、ほぼ2時間の作業で、今年は全部で17本をつくりました。
のこぎりで切って長さを合わせていきます
頭の部分は皮をはいで見た目をよくします
完成です
準備が整うといったん解散して、再び5時半ごろから集会場で歌の練習が始まります。今年のリーダーは中学2年生の満留健(たける)君(14)。片野集落に残る数少ない中学生二人のうちの一人です(ちなみに、小学生はいません)。
杵づくりの指導をしていた大平信孝さんは「昔は子どもたちだけで行い、空き家などを借りて泊りがけで夜通し家々をまわっていたものです」と当時を懐かしみます。ここ最近は、高校生に手伝ってもらうほか、また正月のため里帰りしている地元出身者の家族の中から小さな子どもたちにも参加してもらい、なんとか行事を存続させているというのが実態です。そうした努力のかいもあって、今年は19人が集まりました。
集会場にみんなが集まると、早速、歌の練習です。
コンコン コタコタコンコン
臼はとっくい
杵はなるかね 
かんばからざけ 
おどいしろさ 
ここは分限者(ぶげんしゃ) 
カネはザクザク 
コタコタコンコン 
今年の春はよい春だ 
杵を並べて 
コタコンコタコン
ちなみに歌詞の内容を簡単に説明しますと、これは精霊となった子どもたちが「ここは分限者(金持ち)。カネはザクザク」と各家をほめたたえているのだそうです。
コタコンを待ちわびる集落の人々
さて、歌の練習を終えて、辺りが暗くなり始めるといよいよ今年のコタコンのスタートです。
今年は集落の全47戸をまわる予定で、父親が片野出身で広島から里帰りしている下片野優さん(12)は「何度か参加したことがあります。普段あまり会えない従妹とこうして杵を持って歩きまわるのが楽しいです」と胸を弾ませます。
集会場を出た子供たちは、集落に沿うようにして流れる清流の川上から川下にかけて順に家を訪ねてまわります。戸口に到着すると「こんばんは、臼をおこさせっくいやい(おこさせてください)」と大きな声で呼びかけます。
列を組んで集落を練り歩きます
すると家の主人は、「待っていました」とばかりに「はーい」と返事を返し、いよいよ臼おこしのスタートです。子どもたちは、軒先に準備された臼や臼に見立てた大きな丸太などを歌に合わせて叩き、「コンコン」という軽快な音色を辺りに響かせます。
家のご主人に話を聞くと、毎年この日を待ち望んでいるようで、「学校がなくなったので、今年はあるのだろうかと心配していました。子どもたちの大きな歌声は活力の源です」と歌に合わせて楽しそうに手拍子を打つ姿がその思いを表しているようでした。
木臼のある家庭は本当に少なくなりました
臼おこしが終わるとご褒美タイム。子供たちは餅やミカン、お年玉などを受け取り、「ありがとうございました」とお礼をいってから次の家へ向かいます。こうしたプロセスが繰り返されていくことになります。
途中、川上と川下の中間地点に位置する集会場で休憩する時間も設けられています。正月の寒空の下、歩きまわるのには体力がいりますし、身体も冷えます。そのため集会所では、子供たちにぜんざいやココアなどをふるまい、冷え切ったからだを温め、体力を回復させてから残りの家をまわってもらうのです。
ぜんざいで冷えた身体もポッカポカ
リーダーの満留君は「今年は昨年よりも参加者が多く、にぎやかでよかったです。地元に残る中学生は僕たち二人だけなので、この伝統行事をどう引き継いでいくか考えないといけない時期にきています。この地区に残る宝をいつまでも残していきたい。そう思いました」と今年の手応えを感じるとともに、来年以降の行事継続に対する決意を新たにしたようです。
地域に残る貴重な伝統行事をどうやって守り、後世に伝えていけばいいのか――これもまた地域に与えられた困難で大切な課題のひとつだと取材をしながら感じた次第でした。
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