肝付町観光協会が主催する観光ガイド研修の第8回研修が1月12日、高山やぶさめ館と内之浦地区海蔵(かいぞう)で行われました。
今回の研修のテーマは、「太平洋戦争に関連する遺跡をめぐる」。まずは午前中、同館研修室で「かごしまの戦跡を探る会」の八巻聡(やまき さとし)さんが「大隅半島の戦争遺跡について」と題する講演を行いました。
その中で八巻さんは「太平洋戦争末期、連合軍の侵攻を迎え撃つための砲台や観測所、探照灯(サーチライト)陣地、発電所、兵舎などの施設が内之浦地区の海岸沿いに多くつくられ、最重要拠点として当時の最高の技術と人材がつぎ込まれました」と語り、内之浦の戦略的重要性を指摘しました。
講演に熱心に聞き入る参加者たち
普段はそうした歴史的事実について語られる機会がほとんどないためか、なんとなく聞いてはいたものの、ここまで詳しく説明を受けたのは17名の参加者の多くにとって初めての経験だったのではないでしょうか。講演後の質疑応答の時間には盛んに質問が出ていました。
昼食をはさんで午後からは現地研修です。海沿いの海蔵集落(現在は無人集落)を訪れ、砲台や観測所、弾薬庫跡などを実際に見学しました。
最初に訪れたのは国道448号沿いにある砲台跡です。国道沿いにつくられたトイレ休憩所のすぐ脇にあります。参加者の一人が「ここのトイレはよく使いますが、こんなところに砲台跡があったなんて、まったく知りませんでした」と話してくれたとおり、素通りしている人が多いのではないでしょうか。
砲台跡の前で地図を使って説明する八巻さん
内之浦の砲台について八巻さんが講演の中で「砲台をつくる際は、山が自然の守りとなるように斜面の奥まったところにつくられています」と説明したとおり、実際の砲台の前には小高い山があり、砲台は海から見えないようになっています。自然の地形を十分計算にとり入れたつくりとなっています。
土砂で半分ほど埋もれた出入り口は腰をかがめないと入れません
この砲台跡の出入り口はここ数年の豪雨の影響で半分ほどが土砂で埋まり、通常は立ち入り禁止ですが、この日は特別に中へ入らせてもらいました。参加者たちはおそるおそる腰をかがめて中へ入り、内部の構造を目で確かめていきます。中にはひんやりとした空気が流れ、下には水がたまっています。
内部には水がたまっています
子供のころに海蔵の砲台跡によく来ていたという参加者の小串正和さんによると、「この近くにも砲台跡らしいものがありましたが、土砂で埋もれてしまいました」とのことで、実際にはもっと多くの砲台がつくられていた可能性があります。
次の目的地は国道448号から海蔵集落へと下る道沿いにあります。国道沿いのバス停から500メートルほど下り、「海蔵地区要塞跡入口」と書かれた看板を目印に山の中に入り、5分ほど歩くときれいに整備された公園のようなところにでます。そこが観測所の跡です。
観測所跡の前でかがんで中をのぞく参加者たち
観測所とは砲撃の目標までの距離を測定するための施設で、外部からの攻撃にも耐えられるように強固なつくりとなっています。地面に沿って横長の窓のような隙間があります。そこから敵艦までの距離を計測するわけです。整備されたとはいえ、目の前には木や竹が生い茂り、海を見ることはできませんが、当時は目の前に広がる志布志湾を一望できたのでしょうね。
次に向かったのは、集落に下りる道に戻り、さらに海側に下ったところにある砲台です。道を外れて、途中から竹やぶに入ります。昔、そこに田畑があったことを示すものがいくつか見つかりますが、ほぼ完全に自然に戻っています。
参加者たちは道なき道を進みます
「こりゃ、道案内がいないと完璧に迷いそうだ」と参加者の一人がいうとおり、道なき道をひたすら進むといった感じです。片道15分くらいでしょうか、ようやく砲台に着きました。
石垣に補強された砲台の跡
それまで見た砲台と異なり、周辺が石垣で補強されています。この砲台も土砂に埋もれかかってはいましたが、コンクリートの状態は非常によく、「昭和17年に開通した関門海峡の鉄道トンネルを担当した技術者たちが動員され、当時の最高レベルの技術をつぎこんだ」だけのことはあります。ひょっとすると現在のレベルよりも頑丈なつくりをしているかもしれません。
良好な状態で残る砲台のコンクリートの壁
道なき道を進み、汗だくになってしまった参加者たちですが、「資材を運ぶのも大変だっただろうね」などと語り合って、当時の人たちの苦労をしのんでいる様子でした。
そして最後に向かったのが、国道448号沿いにある弾薬庫らしき跡です。
海蔵集落への入口に戻り、バスに乗り込み、肝付町高山地区に引き返す途中にあったものです。国道沿いとはいっても、少しくぼんだ場所にあって、しかも埋もれかかっているので、そこを通っただけではほとんど気づきそうにありません。「日平林道」と書かれた立札のすぐ脇を入り、急斜面を上るとすぐ目の前に弾薬庫跡と思われる施設が見えてきます。
弾薬庫と思われる施設は他の砲台跡に比べるとコンクリートに厚みがあります
竹やぶの中で見た砲台跡と同じで、立派なつくりをしています。違ったのは、内部にわき水のような流れがあったことです。とても透き通った色をしていて思わず「飲んでみようかな」と思うくらいです。こちらもまた中はひんやりとした空気が流れ、時間がとまったかような感じです。
今回案内役を務めてくれた八巻さんは最後に、「海蔵地区にあるのは全国的に見ても貴重な戦争遺跡です。状態もよく、砲台、観測所、探照灯陣地など複数の遺跡があり、トータルで解説するとわかりやすいと思いますので、ぜひ観光に活用してください」と語り、肝付町の新たな観光資源としての可能性と重要性について触れ、今回のガイド研修を締めくくったのでした。
次回のガイド研修は1月23日、現地研修として荒瀬ダムや志布志国家石油備蓄基地、国見山ウィンドファームを見学することになっています。
この記事へのコメントはありません。