【きもつき情報局】古来より交易で栄えた波見の鎌踊り(2013年)

志布志湾の南側に位置し、古来より交易の拠点として栄えた肝付町波見(はみ)地区にも棒・鎌踊りが受け継がれています。
以前、鎌踊りを紹介した野崎地区に隣接した同地区は、荒瀬(あらせ)、平後園(へいごぞの)、轟(とどろ)、波見下(はみしも)の4集落からなり、3月24日に行われた鎌踊りには、荒瀬と平後園の2集落が参加しました。いつもなら棒踊りを披露する集落も参加しますが、今回は不参加ということで、今年は鎌踊りだけとなりました。
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住吉神社境内で2集落が鎌踊りを奉納
少子化の影響で女の子も参加する荒瀬集落の踊りではシンパン(踊りに初めて参加する子ども)4人を含めた22人、子どもも大人も男だけしか参加しない平後園集落ではシンパン1人を含む10人が踊り手として鎌踊りを披露しました。
まずは足袋にわらじ履きという昔ながらの装束で唄いながら住吉神社にやってきた平後園集落の一行が境内で踊り、続けて荒瀬集落の一行が踊ります。神事の後、2集落同時に踊りを奉納してから海岸へ移動、今度は海の向こうにある都井岬の神社へ向かってそれぞれ踊りを奉納します。
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足袋にわらじ履きで踊る平後園集落の踊り手
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女の子の参加が多い荒瀬集落の鎌踊り
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海岸で都井岬の神社へ向かって踊りを奉納
その後は要望のあった商店や民家の軒先で踊りながら集落内を移動していき、途中で権現山の麓にある戸柱神社、山の上にある牟礼神社(麓から神社に向かって踊ります)、そして最後に野崎地区にある伊勢神社に踊りを奉納します。
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戸柱神社でも鎌踊りを奉納

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要望のあった民家で踊りを披露
肝付町文化財保護審議会会長で、平後園集落に住む海ケ倉嘉通(かいがくら よしかず)さんによると、鹿児島に伝わる棒踊り・鎌踊りの起源は定かではないそうです。おそらく江戸時代から始まり、豊年豊作を祈願する祭りというだけでなく、一説には「人をもって城となす」という薩摩藩の思想に基づいた農民武装の意味合いを持つとされます。
また、平後園の踊りは、(現・鹿児島市の)喜入地区の職人から伝えられたと子どもの時に聞いていたそうですが、調べたところ、喜入ではなく金峰町から伝わった踊りだったとのことです。
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集落の住民からお菓子をもらってうれしそうな子どもたち
店の前で踊ってもらった食堂の女性は「今年は参加する集落が少なかったのが、さびしいですね。やはり多いほうがにぎやかでいいです。毎年楽しみにしています。唄い手と踊り手と、親子孫三代で参加している人たちもいるんですよ」とうれしそうに踊りを眺めていました。
また、鹿児島市から訪れた女性は「写友会のメンバーで、各地でお祭りの写真を撮っています。宮下(みやげ)の棒踊りも撮影しましたよ。肝付町の棒・鎌踊りの装束はタスキが色鮮やかで映えますね」と語り、盛んにシャッターを切っていました。
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