【きもつき情報局】三木教授を迎えて高山城について学ぶ

観光ガイド部会「肝付ふるさと案内人」の研修会が1月27日に肝付町のコミュニティセンターと高山城跡で開かれ、部会員ら21名が参加しました。
 
昨年4月の発足以来、実際にガイド活動をしている部会員より、さらに知識を深めたいという要望があったことから、今回は鹿児島国際大学名誉教授で中世城郭史を専門とする三木靖教授を講師として高山城に関する講演と現地研修が行われました。
 
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三木教授による講演
 
午前中に行われた講演では、三木教授が高山城のような山城がつくられた時代背景や山城の構造、肝付氏と島津氏などについて解説。鎌倉時代から織豊時代(1185年から1599年)にかけて日本各地で有力者が自衛のために山城を築き、戦時には周辺住民も山城に逃げ込んでいたことや高山城跡の発掘調査で建物跡や中国製磁器の破片が見つかったことなどを、用語解説なども交えながら、わかりやすく講義しました。
 
また、鹿児島県観光アドバイザーでもある三木教授からは高山城に関する資料を現地に置いてはどうかといった提案もありました。
 
午後からは本城地区にある高山城跡を訪れ、建物があった曲輪(くるわ)と曲輪の間は自然の地形に手を加えた空堀となっていることや防衛のために通り道は曲がりくねってつくられていることなどを実際に確かめながら城跡をたどりました。
 
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本丸の土塁について説明する三木教授(右)
 
高山城の特徴について質問が出ると、三木教授は、複数の曲輪が並立する群郭と呼ばれる構造で二重三重に守られていたこと、権力の象徴である主郭(本丸)の役割がはっきりしていて領主の指揮権が確立していたことなどを挙げました。
 
さらに、本城地区出身である観光ガイド部会長の福谷平さんが城跡内にある水源地を案内したり、集落に伝わる言い伝えを紹介したりしました。
 
観光協会理事で、本城地区の食事処「くにみの里」の上山千広さんは「周囲の地形を利用し、手を加えて防御していたことなどがよくわかりました。こうしたものが地元に残っていることもすごいことですので、今後も守っていきたいです」と話していました。
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