第43代元明天皇の命令で西暦708年に建立された笠野薬師寺。肝付町富山地区にあった古刹で、現在は後に寄進されたお堂と仁王像(1736年)などが境内に残されています。
笠野薬師寺は薬師如来を本尊とする寺院で、健康、生命保護など人々の生活にかかせないことを祈るため、地域住民から厚い信心を受け、大切にされてきたそうです。
全国的には知名度の低い笠野薬師寺ですが、実は奈良時代に起きた皇位継承に関する混乱事件の中心人物が訪れていることで知られる寺跡でもあります。
その混乱事件とは宇佐八幡宮神託事件と後世に伝わるもので769年、称徳天皇に対して仏教の最高位、法王にまでのぼりつめた弓削道鏡を次の天皇にと、宇佐八幡宮の大神がお告げ(神託)したことに端を発したもの。
それを受け、お告げの真実を確かめるために大分県の宇佐八幡宮まで下向したのが和気清麻呂という人物で、「皇族ではない道鏡を排除せよ」とのお告げを持ち帰ります。
これに腹を立てた称徳天皇と道鏡により(真意を確かめよ!と命令をくだした称徳天皇がなぜ怒るのかわかりませんが)大隅国、現在の鹿児島県大隅地方に遠流となりました。
自由に動けないように脚の腱を切られ、さらに別府穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名までさせられて・・・
大隅に流されたときに詣でたと伝わるのがこの寺跡です。その後、現在の霧島市で過ごした和気清麻呂。天皇の死後、道鏡が失脚すると名誉を回復し官界への復帰を果たしたそうです。
そんな和気清麻呂と関係深い笠野薬師寺跡。この機会に彼がどのような思いでここに詣でたのか、思いを馳せながら訪ねてみるのもおもしろいかもしれません。
笠野薬師寺跡へのアクセスなど詳しい情報はこちらからご確認ください。
ちなみに傷つけられた脚の腱は宇佐八幡大神の守護により回復したそうです。めでたしめでたし(もしかしたら脚のケガの回復を祈願するために笠野薬師寺に詣でたのかもしれませんね)。
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