子どもたちに地元の伝統や特産品、歴史などを教える為の事前学習として7月22日に内之浦小学校の教職員によるフィールドワークが同校区で行われ、辺塚だいだいやユーカリ栽培の圃場、ロケット基地などを巡り、最後に内之浦の麓・浦町を探索しました。
この街歩きで活躍したのが内之浦地区の古地図。これは当観光協会のスタッフが作成したもので、江戸末期・明治初期の街並みを今に伝えるものになっています。
内之浦地区には大雑把ではあるものの古地図が残されています。さらに当時の地形をまとめた資料、麓屋敷・町屋敷・漁師町などを区分けした区分図のようなものが郷土史に収録されており、それらを参考にして制作にあたりました。
そして実際に町を歩いて道祖神(悪霊や疫病などの災難から村や通行人を守るために、峠や辻、村境などの道端に祀られる神)や石敢當(丁字路の突き当り等に設けられる石敢當などの文字が刻まれた魔よけの石碑や石標)、馬場や路地、岸線を確認し、分筆されていた地番を当時のものに集約して郷土史に記載されていた明治初期の戸番台帳と照合しました。すると大規模な区画の整理や道路の整備がほとんど行われておらず、かつての街並みを今なお確認することができました。
その古地図を片手に、行われた研修には、11人の内之浦小学校教職員が参加し、薩摩藩が近海防衛の為に設置したカノン砲の砲台場跡からスタートしました。
そこから松林(防砂林)を抜けて海岸線を歩き、江戸時代には浦町の信仰の中心になっていた玄忠寺のあった場所(現在はJA)を通り八坂神社へ。さらに海沿いの通りを歩くと、信仰の深さを感じる道祖紳が右手の集落の入口に祀られています。
途中、不意に右に曲がると下り坂の細い濱崎地区の路地。懐かしい生活感が今も残る路地の先は内之浦郷の1番地がある交差点。そこは江戸から明治に移る時代に内之浦郷の中で最も栄えていた市場の中心地であり、生活を支えた台所でもあります。そしてこの濱崎地区の中央の通りは県道(全長500m)でもあります。
そこから濱崎地区の先端を目指していくと右手に現れるのが昭和の旧家です。これは江戸時代の内之浦郷で最大の豪商、廻船問屋の峯崎家で、向かって右から蔵、本宅門、商処、荷下ろし場など、通りに面している部分だけで江戸時代には70mもありました。建物は区画を突き抜いて裏が港に面しており、中央に大きな荷運び用の門があり、商処にかかる「三番」の木札の電話番号が残されています。
浜の先端から右回りで港を眺めながら歩き、港の中央付近から右に曲がると、その先には恵比寿口と呼ばれる交差点があります。(写真は恵比寿口から港に向かって撮影)
七福神の恵比寿様は大漁祈願の神様。きっとその後利益にあやかって、出漁の時に通るこの交差点を恵比寿口と名付けたのだと思われます。
そこから町屋敷の間を通って玄忠寺跡(現在のJA)に向かう道の左右は寺町通りで道祖神や秋葉神社(火災避け)、石敢當などがあちこちに点在します。ちなみに写真右の塀の上にある石は石敢當の名残となります。
最後に国道448号に出て武家屋敷の通りを歩き、内之浦支所に戻りました。街歩きの総距離はピッタリ2km、所要時間は約45分。最高気温35度以上の真夏日に13時から16時という悪条件でしたが、参加者全員が元気いっぱいで最後まで頑張って下さいました。
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