正月の奇祭「テコテンドン」(体験レポート)

肝付町岸良地区の平田神社に伝わる伝統行事「テコテンドン」が正月の2日に開催されました。このお祭りは747メートルの北岳に祀られている権現様(熊野権現)を麓にある平田神社にお招きして地域の無病息災や厄払いを祈願する神幸祭です。

お招きすると言っても神事などで降臨していただくわけではありません。こちらから山頂の祠までお伺いして「神籬(ひもろぎ)」にお移りいただき、麓までお運び申し上げるのです。登山とは名ばかりの「苦行」。さて今年はどうなるでしょうか。

今回は常連さん達がそれぞれの事情で参加できないと連絡を受けてはいたのですが、当日集まってみると、なんと10名近くが欠席で参加者は11名。少し寂しいスタートとなりましたが、気を取り直して登山口へ向けて移動開始!

一時間で到着した北岳登山口。そこで恒例の自己紹介と休憩なのですが、ここで既に足にきているはテコテンドン初参加の石本さん。彼女は南日本新聞の記者で2年前に参加した同僚の寺師さんから「絶対に甘く見るな」と助言を受けていたそうなのです。そのせいか装備もしっかりとしていたのですが本人いわく「基礎体力が…鍛えておけばよかった…」。

【権現様を目指して】
次の休憩ポイント目指して出発したものの、登山口からの急勾配の沢登りに悪戦苦闘の石本さん。途中で何度も立ち止まって呼吸を整えながら、それでも休憩ポイントに到達。そこでリタイアするかどうかを真剣に考えたようですが、「ここが中間点なら…行きます…」という明確な意思表示により登山を続行。ガンバレ石本さん!

 

【山頂での餅焼と神事】
ほぼ12時、先頭から30分遅れで山頂に到着。力を振り絞って姿を見せた石本さんを全員が拍手で迎えます。そこでは既に火が起こされており、依代となる神籬(ひもろぎ)作りも始まっていました。

神籬は神様にお遷りいただくためのもので材料は榊。しかもその日、その場で採取したものに限られます。

次に祠を清めてから新しい注連縄に交換。神籬(ひもろぎ)を用意して、神主代役の上薗さんが祝詞を奏上します。

【巨石登頂!】
毎度おなじみの巨石登りですが、立ち上がっている勇者が初参加の後藤さん、手前で自撮りが宮薗さん、青い上着の中村さんと右奥の有留さんは恐怖のあまり立ち上がれず。なお、この巨石には登るための階段や梯子などは存在しません。岩の凹凸を頼りに登ります。

【下山開始】
下山は少し早めの13時20分。先頭に神様+5名、中間に3名、最後尾は私と石本さんを含む3名が撮影しながらの下山でしたが、思った以上に先頭との距離が開いてしまい、かなり遅れて休憩ポイントの北岳登山口で合流。が、そこでアクシデントが発生。

先頭組「お疲れ様! 早かったね」

最後尾「遅くなりました。あれ? 少ないですね」

先頭組「うん。どの辺りにいるの? 最後の3人」

最後尾「どこって、自分たちが最後尾……え?」

先頭組「……え?」

なんと中間組の3名が行方不明。さてどうしようかと皆が思ったその時、遭難者の一人である宮薗さんの声が。

宮薗「おーい!!!」

少し林道を下ったところから聞こえる声に全員が安堵の表情。話をきいてみると、どうやら途中で右折して沢に下りる所を直進してしまったとの事。もっとも地元で生まれ育った宮薗さんは方向や林道の位置、標高などを熟知していて無事に林道へ出てこられたようです。

 

【中岳での御祭り】
いつものように中岳の神様に立ち寄り、少しの休憩をとった後、全員で神様に紙垂を付けます。

そして太鼓の準備。「テ~コテンドン テ~コテンドン ソーラーソーライホー」という上薗さんの声に合わせて山々に響く太鼓の音は、麓に住む人々にとって新しい年の始まりを伝える声でもあります。

【到着の儀式】
到着は午後4時。出迎えて下さった神主の上薗久美子さんに神籬を渡して儀式が開始されます。神歌を歌いながら平田神社の周囲を左回りに3回、右回りに3回、全員で回ります。次に神様に御着座いただいて還幸帰山祭の開始です。

【神様の御帰山】
松永「皆様が山頂からお連れ下さった神様ですが、帰りは ビュン と、飛んで戻られます」。北岳に向かった方向の戸を開け放ち、北岳に向かって一同、礼。

天候に恵まれ、少しアクシデントはあったものの今年も無事にテコテンドンが終了しました。【平田】

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