鹿児島県肝付町出身の画家、宍野勝文(しょうぶん)氏。町内の行政施設などで目にすることが多い彼の作品は、水彩画から油彩、アクリル画など多岐にわたり、中には大作が堂々と展示されている所もあります。
「コンポジション」
生前に数多くの作品を残し平成28年、74歳でこの世を去った宍野勝文氏。その名前は聞いたことがあるけれど、人となりはよくわからないという人が地元であっても多数をしめています。
「タイトル不明」
そんな知る人の少ない画家、宍野氏について創元会(※1)会員の田畑明美さんに話を聞きました。
※1創元会=美術に関する創作活動の奨励・援助及び各種展覧会の開催、調査研究の実施等を通して美術の普及向上に尽くし、芸術文化の発展に寄与することを目的として昭和15年に設立された団体。
「森の祭り」
宍野氏は、1942年に鹿児島県肝付町岸良地区に生まれました。進学校を卒業後は地元の土建業に1年程従事し、その後、美術教師として働き始めます。また同時期に通信教育で京都学芸大学特集科を卒業。その年に南日本美術展知事賞、第2回パリ賞を受賞するなど、めきめきと頭角を現していきます。
美術に対する情熱はとどまることを知らず1980年、38歳でフランスに留学し、秋のパリで毎年開催されるサロン・ドートンヌ展において入選を果たすなど画家としての地位を確立していきました。
パリ留学中の一コマ
その後も美術教師のかたわら、制作活動を続け、数々の賞を手にします。また鹿児島県美術協会運営委員、鹿屋市美術展審査委員、創元会鹿児島支部長、大隅美術協会副会長などを歴任し、地元で絵画教室を開くなど後輩画家の育成にも力を入れてきました。
〜②に続く
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