目 次
▶ 概要
▶ ヒコホホデミノミコトのお墓
▶ 景行天皇が見渡した景色
▶ 明治天皇と西郷隆盛のお参り
▶ 付近の見どころ
・風力発電施設「国見山ウインドファーム」
・国土交通省のレーダー雨量観測所
▶ 三岳縦走
▶ 基本情報
登山口MAPなどを見る |
▶ 概要
標高886.6メートル。
肝付町中央部を縦断する山脈は国見山系と呼ばれており、その代表的な山が国見山(くにみやま)・黒尊岳(くろそんだけ)・甫与志岳(ほよしだけ)です。
以前は山脈を境にして西側が高山(こうやま)町、東側が内之浦(うちのうら)町と分かれていましたが、2002年に国見トンネルが開通したことで双方のアクセスが大幅に改善され、2005年に両町が合併し「肝付町」が誕生しました。
山頂にはヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊)を祀る祠や、「文化14年(1818年)9吉日」の銘がある石灯籠などがあります。
▶ ヒコホホデミノミコトのお墓
ヒコホホデミノミコトは山幸彦(やまさちひこ)のことで、「古事記」や「日本書紀」に記されている日本神話に登場します。
ヒコホホデミノミコトの陵墓とされている山は各地にありますが、国見山もその一つです。
「国見山上陵」「国見権現」「高屋山陵」とも呼ばれています。
ヒコホホデミノミコトは第12代景行天皇によって内之浦へ勧請され、高屋神社が創建されました。
景行天皇が熊襲征伐のために滞在していた高屋の宮(天子山)に隣接している神社です。
現在の国見山は、20株ほどの杉の切株が内之浦登山口側から国見山山頂への山道に残っているだけです。
直径2メートルほどの切株もあり、当時の参道の名残ではないかと推測されます。
▶ 景行天皇が見渡した景色
「国見」という名称は、第12代景行天皇にゆかりがあります。
景行天皇は熊襲征伐の途中、内之浦の高屋の宮(天子山)に6年間滞在しました。
その際、国見山山頂から国を見渡したことから「国見山」と名付けられたと言われています。
たしかに、標高が最も高い位置にある国土交通省のレーダー雨量観測所は絶景ポイントです。
▶ 明治天皇と西郷隆盛のお参り
明治5年6月22日、明治天皇が西郷隆盛などを従えて鹿児島に巡幸しました。
その際、鶴丸城(現在の黎明館)から、皇祖が眠る鹿児島の三山陵を遥拝(ようはい)しました。
当時の三山陵は、薩摩川内市の可愛(えの)山陵、鹿屋市の吾平(あいら)山陵、そして内之浦の高屋山陵(国見山)です。
遥拝とははるか遠くから拝むことなので、明治天皇や西郷隆盛が直接お参りしたわけではありません。
かわりに勅使を派遣して、景行天皇によってヒコホホデミノミコトが国見山から勧請された高屋神社に10円金貨を奉納しました。
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▶ 付近の見どころ
風力発電施設「国見山ウインドファーム(株式会社ユーラスエナジーホールディングス)」
国見山の入口を通り過ぎた先に、大きな15基の風車が回転する様子が見えます。
国土交通省のレーダー雨量観測所
標高888.8メートルの位置にあり、黒尊岳、甫与志岳、高隅山などを一望できます。
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▶ 三岳縦走
昔、旧高山町では「国見・黒尊・甫与志の岳に三度参れば妻たもる」とうたわれていました。
そこで行われていたのが三岳縦走です。
各集落の若者たちが登山前日から身を清め、当日朝の暗いうちに出発し、三岳を駆け巡る…。
春の彼岸の中日、つまり春分の日に行われる、縁結びの神事でした。
▶ 基本情報
名 称 | 国見山 (くにみやま) |
標 高 | 886.8m |
登 山 口 | ▶山頂までの距離:国見平登山口より約1.8km(登り:約50分/下り:約40分) ▶アクセス: ①令和6年7月1日より一般車両は峰越林道への乗り入れができません。国見平登山口までは黒尊岳からの縦走ルートをご利用ください。 ②国見平登山口では3股の分かれ道のゲートの方へ進みます。フェンスの左側からお入りください。 ④途中、二股に分かれる道を右に進みます。※左に進むと、国土交通省のレーダー雨量観測所につきます。 ⑤合計30分ほど道路を歩いた先が国見山への入口です。 ⑥国見山山頂までは、山へ分け入ってから10分ほどかかります。 |
備 考 | 二等三角点 |
関連スポット | ・黒尊岳 / Kuroson-Dake (Mt. Kuroson) ・甫与志岳 / Hoyoshi-Dake (Mt. Hoyoshi) |
参考リンク | ・三岳縦走 / Mitake Juso (Three Mountains Traversing) ・公式HP:鹿児島県照葉樹の森 |
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