今回のインタビューに登場していただくのは前回の阪本英信社長に引き続き、自他共に「きもつき大好き人間」と認める武下敏行さんです。
奄美大島出身者である武下さんがきもつきとの縁をもったのは2005年春。町内最大の小学校である高山小学校の校長として赴任したのがきっかけでした。
かつてこの地を治めていた肝付氏の城下町として栄えた高山――そこで出会った豊かな歴史、伝統、文化、そしてプライドをもち、凛とした人々――そうした特徴が武下さんの心を強く引きつけ、そしてついには高山小学校を定年退職した後、高山を「終の棲家(ついのすみか)」として選ばせることになったのでした。
教育者として、そして文化人としてきもつきをこよなく愛する武下さんに「新しいふるさと」に対する思いや希望を語ってもらいました。
凛(りん)としたものを持ち合わせている町
――今日は流鏑馬(やぶさめ)保存会の広報担当、武下先生にお話をうかがいます。武下先生、今日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
――武下先生はもともと奄美のご出身なんですか?
はいそうです。
――なぜ今肝付町にお住まいなのか、そのへんからまずおうかがいしていいですか。
わたしは小学校の教員をしておりまして、喜入をスタートに県内10カ所をまわってきました。そして最後の勤務地が高山で、高山小学校で終わったわけです。とてもこの町が気に入ったということと、それから息子が流鏑馬の射手をしまして、そういう意味でも高山に恩返しをするといえばいいでしょうか、なにかお役に立てたらと思ってずっと住んでいるところです。
――もう高山にお住まいになって何年になるんですか?
9年目になりますね。
――9年目ですか。武下先生は「よそもの」として今こちらにいらっしゃるわけなんですけれども、そしていろいろなところを見て回ってこられたと思うんですけれども、高山の特徴というんでしょうか、よさやよくない面も含めて、どういうふうにご覧になっていますか?
さっきお話ししたように県内10カ所まわってきたのですが、そのなかでも特にいろんな面で豊かに恵まれた土地だと思っています。例えば自然であり、田畑であり、山であり、海であり、そして何より人々が非常に豊かな心を持っていらっしゃいますので大好きな町です。
――人ということでいいますと、例えば奄美の人などもすごく情が豊かで、優しそうに見えるのですが、(奄美の人とこちらの人とは)違いますか?
わたしは自分ができているという意味ではなくて、やはり人の暮らしの中でも豊かな面、温かい面、やさしい面ときびしい面、きちっとした面というのが大事だと思っていまして、そのどちらも兼ね備えているのがこの町だと思っています。
――先生が地元の人とふれあうといいますと、昔は学校、教育を通じて、現在はどちらかというと流鏑馬を通じてですよね。肝付町というのは高山と内之浦が合併してこういうふうになったんですけれども、今わたしたちは高山の四十九所神社というところに来ていまして、流鏑馬が奉納されるところなんですよね。そういう意味では、すごく歴史のある町ということなんですけれども、その歴史の深さというものは人の特徴というのでしょうか、町民性というのでしょうか、そういうものに影響しているのでしょうか?
はい、たいへん影響していると思います。高山にきて最初、校長として聞いた言葉は、「世が世であれば高山は県都、県の都である」と、そういう気概を持って仕事をしてほしいと(いわれました)。
子どもたちからは、高山小には椋(むく)の木というのがあるんですけども500年くらいたったスクールツリーなんですけども、椋の木のように凛(りん)としてわたしたちを育ててほしいという言葉を歓迎の言葉として受けまして、たいへん胸躍る思いがしましたね。それくらい町民全体に凛としたものがある、歴史を誇っているということがいえると思います。
町のみんなが友だち
――ここは肝付氏の城下町ということですけれども、島津の軍門に下ってもう何百年、けっこう時間がたっていますので、そういう伝統もすたれてしまってもおかしくないと思うんですけれども、先生からご覧になって、そういうものはまだ残っているものなのでしょうか?
わたしは残っていると思いますね。人々の心の中、頭の中に忘れちゃならない大事なものだというのが奥深く、たいへん大事に残されていると思います。それがまたわたしにとってみれば、たいへん魅力的な部分ですね。
古いものだからということで捨てたり、またはある意味で征服されたからといって、負け犬のようにしっぽをたらして走るというのではなくて、逃げるというのではなくて、凛としたものを持って生き続けるっていうのは、わたしは大事なことだと思いますね。
――とくに流鏑馬というのは900年近くの歴史があるということで、 現存する歴史的なものの中ではいちばん古いということですよね。その流鏑馬に何年も深くかかわってらっしゃるから、なおさらそういうふうに感じられるのでしょうか?
そうですね。たくさんの伝統、歴史があるのですけれども、なかでも肝付、高山を代表するのはやはり流鏑馬だと思いますから、流鏑馬はぜひ大事に大事に受け継いでいかなきゃいけないと思いますね。
――さきほど申しましたように、肝付町ということで内之浦も入っていますので、内之浦もまた歴史的に昔の天皇が長くいたという話もありますし、そういう意味では両方とも素晴らしい歴史的伝統があるわけですよね。さて、今のところ、こちらのよいところというのでしょうか、よい点を中心に語っていただいたのですが、逆に「ここはもう少し改善したほうがいいのではないか」という辛口のコメントがあれば、ぜひわたしたちも参考に聞きたいんですけれども。
そうですね。なかなかいいにくいことですけれども、先ほどいいました歴史伝統を誇るというのを表の面だとすれば、逆にいえば裏面もかならずあるわけですので、例えば人に向かう時によその人だとか、いらしたばかりの人に対してとても優しい心、広い心も持っていらっしゃるのだけれども、ちょっとこう引くといえばいいんでしょうか、または押すといえばいいんでしょうか、相手に対してちょっと優しさが足りないだとか、簡単には受け入れないだとか、そういうものもなきにしもあらずではないかと思いますね。それがひどいという意味ではありませんけど。
――物事というのは、それがいいほうに出るときもあれば、悪いほうにでるときもあるし、その状況によって変わるということもありますしね。やはりプライドがある分、外の人に対して素直に受け入れるところもあるけれども、そのプライドがじゃまをするというところもあるのかもしれないですね。ただいろいろなことを先生はもう何年もごらんになっていて、終の棲家を高山にされたわけですよね。それだけ惚れていただいたということは、やはり地元民のひとりとしてすごくうれしいし、ありがたいと思いますよね。
そう思っていただけるとありがたいですね。
――よそから来てこちらに住み着いていただいた方をわたしたちはもっと大事にしていかなければいけないなと、すごく思うんですよね。
よくしていただいていますよ。町中のみんなが友だちのようなものです。
――先生の場合は人柄がこう、それはやはりお生まれになった奄美の影響もあるのかもしれませんけれども、すごく朗らかでいらっしゃって冗談もおっしゃるので、それが地元民からすると友だちになりやすいというところがあるのではないですかね。
なにかに出会った時に誠意を持って一生懸命にそれに取り組むかどうかというのが、いちばんだと思いますし、そのことが相手に伝わって受け止めてもらってつながりが深まる、心と心が結ばれていって長い付き合いができる、というふうなありかたがあったらいいなと思っていますけどね。
文化・教育の面でお役に立ちたい
――最後の質問なんですけれども、先生もごらんになっておわかりになるとおり、町の活力がどんどん削がれていくといいますか、すたれていって、全国的な現象だとは思うんですけれども、これから先、肝付町がこういうふうになってほしいというような希望、そういったものはありますか?
それぞれの町民、それぞれの立場でできることで町のためにやっていくというのが大事だと思うんですけれども、例えば行政のほうは行政で、町民は町民でというのが大事だと思います。業者の方は業者の方というのが大事だと思うんですけれども。
わたしの場合は、お手伝いできることとすれば流鏑馬であったり、仕事が教員であったわけですので教育という形でお役に立てたらいいなと思っています。
具体的には、例えば子どもたちが健全に育つように町民みんながあいさつを交わすだとか、声かけをするだとかっていうことで子どもたちを育てたり、町民と町民がつながっていったりということが、わたしとして広めていきたいことですね。
――これからも末永く肝付町、高山を愛していろいろとお助けください。よろしくおねがいいたします。今日はほんとにありがとうございました。
どうもありがとうございました。
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