【きもつき情報局】内之浦中学1年生が地域の史跡めぐり

肝付町立内之浦中学校の1年生18人が、地元の歴史を学ぶための文化財めぐりを2013年5月22日、行いました。
 
これは同中学校1年生向けの集団宿泊学習のプログラムの一環として、郷土の戦跡や史跡を知ってもらうために昨年から始まった取り組みです。
 
この日の案内役は内之浦在住で地域おこしに取り組んでいる田中弘幸さんです。子どもたちは午前中にロケット基地を見学した後、午後から町のマイクロバスに乗って、小田(こだ)のくす、高屋神社、天子山、小串砲台跡、海造蔵観音などを見てまわりました。
 
一行は、まず初めに幹周り10mをこえる大楠、小田のくすを訪れました。言い伝えによるとこの木は、第12代景行天皇が熊襲(くまそ)征伐のために九州南部に出向いた際、この地で一泊して、その時に忘れた「くす」の杖が根づいて大樹になったものとされています。
 
子どもたちは高さ25メートルの大楠の下で案内板や田中さんの説明など一生懸命にメモをとっていきます。みんなとても勉強熱心です。

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 小田のくすの歴史について説明を受ける中学生
次に向かったのは高屋神社とその神社の隣にある天子山です。天子山には小田のくすと同様に景行天皇とつながりの史跡があり、そこには住居跡と伝わる石の囲みが残されています。
 
そこで田中さんが「この場所には来たことがありますか」と質問すると、来たことがあると答えたのはほんのわずかで、ほとんどの子どもたちは「高屋神社には来たことがあるけれど、この場所は初めてです」と答えていました。近くにあってもなかなか訪れることはないようです。
 
それに加えて、高屋神社ではかつてやぶさめが行われていたことなどが説明されました。

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 景行天皇の居住地とされる史跡
高屋神社の次に向かったのは、今は無人集落となっている海蔵集落です。ここには江戸時代につくられた美しい観音像があるほか、太平洋戦争末期に設置された防御施設があります。
 
生徒はまず、国道から集落に向かう狭い道路沿いに設けられた案内板を頼りに山の中に入り、5分足らずでトーチカと呼ばれる施設に到着、そこで田中さんから戦争末期の状況や施設がつくられた背景などについて説明を受けました。
 
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戦争末期の状況を今に伝えるトーチカ
 
さらにそこから海岸に向かって5分ほど歩いていくと、今は無人となってしまった集落の近くにある小さな倉のような建物が見えてきました。
 
その中に収められているのが海蔵観音です。全身に金箔がはられた1メートルほどの美しい観音像です。海を渡って海蔵に持ち込まれる途中、船底に穴があいたもののその穴をアワビがふさいで沈没を免れたという言い伝えがあり、そのため安産祈願の場所となっているとの説明が田中さんよりありました。
 
そこから再び国道に戻り、そこから500メートルほど移動すると、こちらも太平洋戦争末期につくられた砲台跡に到着しました。当時、トンネル工事に携わっていた専門家がつくったもので、今でも古さをそれほど感じさせない立派なつくりをしています。

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 砲台跡を見学する中学生
「このような戦跡を見ることで、戦争の恐ろしさやむなしさを感じてください」と田中さんが子どもたちに語りかけると、子どもたちは「戦跡はとても印象に残りました。戦争はとても恐いです。今日感じたことを家族にも話し、このような史跡や戦跡が内之浦にはたくさんあるのだと教えてあげたいです」と話し、田中さんの思いは十分子どもたちに伝わっているようでした。
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