きもつきの歴史について紹介する歴史探訪の第1回塚崎編の第4部では、肝付町を代表するパワースポットでもある塚崎の大クスについて解説します。
巨大でありながらも、どことなく優しさを感じさせてくれるこの大クス――さていったいどのような木なのでしょうか。
今回もまた、肝付町文化財保護審議会会長、海ケ倉善通(かいがくら よしかず)さんの解説でお送りします。なお、下の文章は解説を書き起こしたものですが、話し言葉のため、若干の加筆・修正が加えられています。
推定樹齢1300年の大クス
このクスは少し盛り上がったところの真ん中に立っていますが、これは古墳の上です。
ここが塚崎古墳群の1号墳になります。
古墳の上に立つ塚崎の大クス
いつ頃このクスノキが生えたのか、または植えられたのかというと、古墳がつくられたのが1500年ぐらい前ですので、その後になります。1300年ぐらいは経っているだろうと推定されています。
大クスの前に建てられた1号墳を示す石碑
クスノキなどの大きな木の調査というのは簡単にはできません。枯れた後なら切って年輪を数えることではっきりした年数が分かりますが、それができませんので推定するしかないわけです。
幹周りというのはだいたい根元から120センチぐらいの高さのところを測るのですが、このクスの幹周りは14メートルあります。高さは25メートルです。
以前は30メートルからあるといわれていたんですが、それはちょっとおかしいんじゃないかということで、町役場の建設課の人たちに測ってもらいました。(古墳の)下からなら30メートルはあったと思うんですが、実際の生え際からの高さを測ると25メートルでした。
左の方にたくさんこぶが見えますが、あれはもともと枝が出ていて折れてしまった跡です。そこから腐っていって、あの中はほとんど空洞になっています。下の方に4メートルぐらい、上は10メートルから腐れが入っています。
幹にあいた大きな空洞
今は明るくなりましたけれども、以前は後ろの方に大きな枝が出ていて、暗くて鬱蒼(うっそう)としていました。
その枝は8年くらい前に、台風もなんの風もなかったのに突然折れてしまいました。ここの集落の人たちから連絡を受けて来てみましたら、ちょうど幹から折れていて、見てみると中はほとんど腐っていました。それまでは枝の皮目だけでもっていた状態で、葉や枝の重みで折れてしまったようです。
ほかの枝のこぶが残っている部分も、そういう形で折れています。木の内部で、この穴があいたところからずっと腐れが入っていって、枝の方までのびていくわけです。
クスの保護
(姶良市蒲生町に)蒲生のクスというのがありますが、これは日本一大きなクスです。幹周りが24メートル、高さは32メートルあります。
20年くらい前にわたしの娘が串木野にいたので、いつも蒲生の神社のところを通って訪ねていました。あるとき、そこの神社で休憩をしながらクスノキを眺めていたらクスを管理される係の方が中の補修をするといわれたので、どんなことをされるのか聞いてみたら、中の腐れを全部削ってとって、樹脂でその腐れがそれ以上広がらないような加工をするということでした。
日本一の蒲生のクス(姶良市蒲生町)
そこで、この塚崎のクスにもそういうことはできないかという提案をしましたら、これは国指定文化財ですので国がしてくれることになりました。お金は県と肝付町が出しているんですが。樹勢回復ということで腐れを防ぐことになりました。
また、クスの後ろに大塚神社がありますが、以前は神社の階段があってそれを根っこが持ち上げてのぼれないような形になっていました。根っこを傷めるからということでその階段もとってもらいました。
大クスのすぐ後ろに建つ大塚神社
これは県下で3番目に大きなクスだといわれています。蒲生が1番、日本一です。2番目は志布志の山宮神社の境内にあります。幹まわりが17メートルで、この塚崎のクスより3メートル大きいだけです。高さはこれより低いです。
補修をしたところを見てください。腐らないように全部樹脂で加工しています。
樹脂で加工された枝の跡
ここから北の方に向かってずっと古墳が連なっています。この県道539号より南側には10基あります。クスの後ろの方にも古墳がありますが、ここの所有者が氏神様をまつっています。これは2号墳です。
クスに着生しているオオタニワタリ
オオタニワタリがついていますが、以前はちょうど腐ったところに50種類から他の植物が、着生(ちゃくせい)といいますが、くっついていました。この木が弱るのでとってもらいました。
(第5部 「肝付氏四代兼員の三男・兼弘の供養塔」に続く)
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