【きもつき情報局】歴史探訪 第1回 塚崎編6 塚崎の田の神

きもつきの歴史について紹介する歴史探訪の第1回塚崎編の第6部では、鹿児島県から宮崎県の一部にかけて分布する特色のある田の神像について解説します。
 
今回もまた、肝付町文化財保護審議会会長、海ケ倉善通(かいがくら よしかず)さんの解説でお送りします。なお、下の文章は解説を書き起こしたものですが、話し言葉のため、若干の加筆・修正が加えられています。
 
 
町内の田の神
 
塚崎の田の神は町指定文化財です。田の神は高山地区に53基、内之浦地区に14基ぐらいあります。
 
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塚崎の田の神
 
この田の神はそのなかでも古い方ですが、非常にきれいに彫刻されています。田の神(像)というのは(一般的に)素人がつくったようなものが多いのですが、どういうわけか肝付町の田の神だけは芸術品のようにきれいに彫られた田の神が多いです。不思議です。
 
ちゃんとした石屋さんに頼んで彫刻してもらったのだろうと思いますが、そのなかでも一番きれいなのがこれです。これはもう芸術作品です。
 
説明板に「延享(えんきょう)三年」と書いてありますが、以前は延享二年と書いてありました。わたしがこの田の神を調べてみましたら「ニ」の漢字の間にもう1本線が入っていて「三」年だったので、直してもらいました。
 
建てたのが延享三年、1746年です。
 
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田の神の前で説明する海ケ倉さん
 
だいたい、田の神が建てられ始めたのは1700年代です。一番古いものは紫尾(しび)、さつま町にあります。それが建てられたのが1706年です。
 
高山で一番古かったのが野崎の田の神です。あれ(野崎の田の神)はこれ(塚崎の田の神)より3年早い1743年に建てられました。
 
 

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野崎の田の神
 
また、町が(2005年に)合併してから内之浦を調べましたら、野崎のものよりさらに1年古いのが内之浦にありました。(町内で)一番古いのは内之浦にある1742年に建てたものということになります。
 
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町内でもっとも古いとされる内之浦・乙田の田の神
 
田の神の特徴
 
田の神は頭にシキというものをかぶっています。このシキというのは、蒸し物をするときに釜とセイロの間に挟むワラで編んだものです。それを頭にかぶっています。これが特徴のひとつです。
 
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右手にメシゲ、左手に宝珠を手に持つ塚崎の田の神
 
そして持ち物にも特徴があります。食べ物に関係のあるもの、これはメシゲ(しゃもじ)を持っています。
 
それから(塚崎の田の神の脇にある)説明板には「前にワラヅトをさげている」と書いてありますが、間違っています。ワラヅト(藁苞)というのは、納豆をつくるときにワラの根っこのところをくくって、それから中に豆を入れて上の方がくくってあって中が膨らんでいるものがありますが、あれのことです。
 
昔は握り飯などの食べ物を入れるものでした。それを背中に背負って山に行ったり農作業に行ったりしていました。この田の神は背中にはなにも背負っていませんが、野崎の田の神は2体ともワラヅトを背負っています。
 
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ワラヅトを背負っている野崎の田の神
 
この塚崎の田の神の前にあるのはワラヅトではなく、ひょうたんです。それと盃をさげています。そして手には握り飯のようなものを持っていますが、これは宝珠、宝の玉を手に持っています。足のところには俵を2つ積んでその上に立っています。こういう生産に関係のあるものが特徴です。
 
お米がたくさんできますようにと豊年豊作を祈って建てたのがこの田の神というわけです。となりのものは水神です。
 
(第7部 「肝付氏と伊地知氏」に続く)
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