【きもつき情報局】歴史探訪 第2回 高山編1 湛水院の供養塔(後編)

 

今回の歴史探訪では前回に引き続き「湛水院の供養塔」の後編をお届けします。
 
解説は肝付町文化財保護審議会会長の海ケ倉喜通(かいがくら よしかず)さんで、後編では、高山用水路の開発を受けて始まった薩摩半島から大隅半島への移住や湛水院を再興させた古道というお坊さんの墓などを紹介します。
薩摩半島からの移住

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薩摩半島は人口が多くて土地が狭いところが多かったので、その人口密集地帯の人たちを大隅半島に移しています。こういう政策を人配(ニンベ)といいます。
 
ですから薩摩半島から移ってきた人たちも後田や野崎などにたくさんいます。
特に鹿屋市吾平町下名には、たくさんの人が薩摩半島から移住してきました。(肝付町前田の)電器屋のところからずっと田んぼのなかに広い道路ができましたが、その道路の姶良川にかかる橋を渡ったところの左側に、移住の大きな記念碑が建てられています。20年ぐらい前でしょうか、移住してきた人たちの何代もあとの人たちが建てました。移住した人たちの名前まで書いてあります。
 
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姶良川近くに立つ移住の記念碑
 
湛水院の史跡
 
久通の供養塔近くに古道という坊さんのお墓がありますが、もともとここは湛水院(たんすいいん)というお寺でした。この湛水院が、途中で坊さんがいなくなったりして廃寺になるような状態になっていたのですが、それを再興したのがこの古道という坊さんです。
 
ですから、これは古道塔といいますが、その坊さんのためにお墓を建てたということです。
 
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島津図書頭久通の供養塔近くに立つ古道塔
 
ここの近くには宮之城から、この図書頭の供養塔をみるために移ってこられた人たちの子孫がいます。ですが時代がずっと長くたっていますので、管理がなかなか行き届かない状態になってしまっています。
 
町の文化財に指定しましたので町の方でもなんとかしないといけないんですが、町でも予算もないし、たまにわたしがきて掃除をしたりしますけれども、ほとんど手付かずの状態のところが多いです。
 
以前は歴史民俗資料館におりまして、文化財の清掃をして回っていたんですが、今はなかなかそれができなくなってしまいました。
 
仁王像も頭はありませんがちゃんと残っております。埋まっていたのを掘り起こして立てたものです。そこに説明板があるので見てください。

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掘り出された仁王像
 
地元の人たちは、(図書頭のことを)「図書どん」とか「徳源(とっげん)さあ」とか呼んでいます。「徳源さあ」というのは、図書頭の法号が「湛水院殿徳源道智大居士(たんすいいんでんとくげんどうちだいこじ)」というものだからです。
 

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供養塔の説明板
 
今日は四十九所神社や二階堂住宅付近でこの用水路のところを通りますのでよく見てください。なかにはトンネルになっているところもあります。当時はつるはしを使って、ほとんど手作業でやっていますから難工事だったようです。
 
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