きもつきの歴史について学んでいく歴史探訪の第2回高山編の第6部では、江戸時代の郷士の住居として国の重要文化財に指定されている二階堂家住宅(自民党の代議士、故二階堂進氏の生家)について肝付町文化財保護審議会会長、海ケ倉善通(かいがくらよしかず)さんの解説でお伝えします。
なお、以下の文章は解説を書き起こしたものですが、話し言葉のため、若干の加筆・修正が加えられていますのでご了承ください。
二階堂家の歴史
二階堂家は鎌倉から移ってきました。鎌倉に二階堂という地名のところがあって、そこの人たちが移ってきたんですね。
国の重要文化財に指定されている二階堂家住宅
現在、大分には麦焼酎「二階堂」というものがありますが、あの(酒造の)人たちもおそらく鎌倉から移ってきた人たちです。
薩摩の今の(南さつま市)金峰町、昔は阿多という地名だったのですが、阿多北方の地頭、役人として鎌倉時代に移ってきました。
そして島津家に滅ぼされて島津の家来になっていたのですが、この二階堂家の先祖が若いときに16代の島津義久の奥小姓をしていて、高山のこの屋敷をもらって移りました。
建築の特徴
向こうの棟が「おもて」で、こちらの手前の棟が「なかえ」です。
おもてはお客さんが来た時につかうところ、手前のなかえは朝晩の生活の場ですね。囲炉裏があって、そしてみんながそこの囲炉裏を囲んで生活をするという、こんなつくりのところが(鹿児島南部には)多いです。
二階堂家住宅の説明板
二棟が合体しているのが特徴です。普通は一軒の家になっているんですが、おもての間となかえの間とを別につくって、それをつないでいるんですよ。中にはちょうど廊下が通っています。
上のほうは雨がもらないように孟宗竹の大きな長いのを使ってあります。最初、竹を半分に割って節をとって、上向きに並べて今度は逆に上から伏せます。そうすると雨はもりません。そういう構造になっています。
ひさしが竹葺きになっていますがあれもそうなんですね。下のほうには上向きのものが並べてあって上から今度はふせてある、これは竹葺きの特徴です。
竹葺きのひさし
(屋根を)2年くらい前に補修をして傷んだところを差し替えてきれいにしています。何年かたちますと古いところが腐ってきて、そこにつぼ虫(カブトムシやクワガタの幼虫)がわきます。カラスがその虫をとるために穴をあけてしまうので、しょっちゅう補修をしないといけません。
今はこのふき替えのカヤもなかなかありません。この間補修したときは大分からカヤも持ってきました。
そしてふき替えの職人もおりませんので、入来(薩摩川内市入来町)から職人を頼んできてふき替えをしました。そういうふうに維持がなかなか大変です。
ここは大林坊(だいりんぼう)屋敷といいます。もともと二階堂家は山伏だったんですね。ですから教育にかかわるいろいろなことを江戸時代もしていたようです。いったんは末吉(曽於市)に移っているんですが、末吉からすぐまたこっちに戻って来ています。
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