【きもつき情報局】やぶさめを支える人と技に学ぶ(肝付歴史茶話会)

古瀬徹さんとマルさん(旧姓:日高)夫妻の呼びかけで始まった「肝付歴史茶話会」が11月16日に開催されました。同会は日高家の武家門修復をきっかけに地域の歴史について話し合う場を設けようと始められたもので、4回目となった今回は町内外の歴史愛好家9名が参加しました。
 
はじめに、きもつき情報局が制作したやぶさめに使う矢などをつくる人たちを紹介するビデオを同事務所で鑑賞。やぶさめで使われる矢や矢じり、わらじをつくる様子などをビデオで見ながら、高山流鏑馬保存会広報担当の武下敏行さんが、矢づくりは慣習的に技術を引き継ぐことがなく担当者が見よう見まねで工夫してつくっていることや矢じりは雁股(かりまた)といって二股に分かれていること、射手と武者行列に加わる鎧武者ではわらじの形が違うことなどを補足的に解説しました。
 
その後、現地の見学に移り、矢をつくる中村孝美さんと矢じりをつくる鍛冶屋の松元義行さんを訪ねました。
 
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矢に羽根をつける中村さん
 
まず、11年ほど前から矢をつくっている中村さん宅で、参加者は実際に矢を手にとってみながらつくり方などについて質問し、中村さんがそれに答える形で9月頃に太さや節の長さが矢に適している箭竹(ヤダケ)を探して刈り取り、油抜きをしてからつくり始め、本番に使われる12本をおよそ10日かけてつくることなどを説明していきました。
 
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矢を手に取り興味深そうに眺める参加者
 
また、中村さんは自ら考案した道具を使って矢羽をつける作業を実演して見せ、「つくった矢はちゃんと飛ぶかどうか試してもらいたいところなのですが、本番の1回しか使わないんですよ。だから射手から聞いたりして、どういう矢が使いやすいか工夫しています」とつくり手ならではの裏話も披露してくれました。
 
次に訪ねたのは大隅半島で唯一の鍛冶屋である松元さんです。30年以上前からやぶさめ用の矢じりづくりを任されている松元さんは作業場で矢じりを手にしながら、自分のつくるものは「当たれば、絶対に的から落ちることない」と自信を持っていることやかつて周辺の八幡馬場には鍛冶屋がたくさんいたので「鍛冶馬場(鹿児島弁で「かっばば」)」と呼ばれていたこと、このあたりでもやぶさめが行われていたことなどを教えてくれました。
 
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矢じりづくりについて話す松元さん(手前右)
 
今回、初めて参加した佐々木真理さんは「これまでやぶさめを見ても矢じりが雁股になっていることなどに気付いていませんでした。裏方の仕事を知ったことで、次回やぶさめを見るときは見方が変わると思います」と語り、地元の伝統行事のやぶさめが多くの人々の手で支えられていることに感じ入った様子でした。
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