【きもつき情報局】歴史探訪 第3回 内之浦編3 内之浦氏の石塔群

きもつきの歴史について学んでいく歴史探訪の第3回内之浦編の第3部では、肝付氏から分家したといわれる内之浦氏について肝付町文化財保護審議会会長、海ケ倉善通(かいがくら よしかず)さんの解説でお伝えします。
 

 
なお、以下の文章は解説を書き起こしたものですが、話し言葉のため、若干の加筆・修正が加えられていますのでご了承ください。
 
肝付氏と内之浦氏
 
肝付町内にある墓石、五輪塔のなかで一番大きいのは盛光寺の肝付氏の8代の兼重の墓です。それから、5代の兼石、ここにある内之浦氏の墓、岸良(きしら)氏の墓、この3つの墓がだいたい同じぐらいの大きさです。
 
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盛光寺跡(高山地区)にある肝付兼重の墓
 
この内之浦氏については肝付氏から分家したことは確かなのですが、記録が残されておりませんので、いつ分家して何代の誰が内之浦に来たのかということはわかりません。
 
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内之浦氏の石塔群の一部
 
岸良氏は5代の兼石の2番目の弟、兼基(かねもと)という人が分家してきたのだということがわかっています。
 
内之浦氏はいろいろ途中で本家と争いをしたりしたので、資料などがなくなっているのだろうと思いますが、墓石を見ますと兼石、岸良氏の兼基、内之浦氏の墓は同じような大きさですので、だいたい時期も同じ頃だろうと思われます。
 
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内之浦氏石塔群の説明板
 
内之浦は岸良のように独立していません。高山郷のなかに入っている時期があって、高山から直接治めていました。そういうことから、はっきり内之浦に分家して、肝付(氏)から来たということが記録などに残されていないのではないかと思います。
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