きもつきの歴史について学んでいく歴史探訪の第3回内之浦編の第5部では、かつて港に設けられていた津口番所跡について肝付町文化財保護審議会会長、海ケ倉善通(かいがくら よしかず)さんの解説でお伝えします。
なお、以下の文章は解説を書き起こしたものですが、話し言葉のため、若干の加筆・修正が加えられていますのでご了承ください。
港に設けられた番所
ここは津口番所の跡です。いわば関所で、内之浦の港に着いた人たちがここを通って内之浦のなかに入っていくという場所です。
津口番所跡の説明板
津口というのは港のことです。津口以外に、関所といわれる場所は何カ所かありますが、有名なのは宮崎のほうから入ってくるときの高岡の関所、それから肥後、熊本のほうから入ってくるときの出水の関所です。
昔はそういう関所が設けられていて、だれでも自由に通ることはできませんでした。当時は通行手形などの許可証を持っていないと他郷の人たちが薩摩藩に入るということはできませんでした。
特にこの辺りではキリスト教の禁令が出ました。そして一向宗も禁止されていたので、一向宗の人たちもここでとがめられて、簡単に中に入れず返されるというような状態でした。
この薩摩藩内には24カ所の津口番所があったといわれています。
ここの番をする人たちは地元の人ではなく、方々から役人が交代で派遣されました。大崎、財部(たからべ)、敷根(しきね)、福山、松山、牛根、高城(たかじょう)、野尻、加久藤(かくとう)、綾など遠方から派遣されて、ここで番をしたわけです。
地元の人たちでないのは、癒着してしまってお目こぼしなどがないようにということだろうと思います。全然知らない人たちを派遣して取り締まりをしたということです。
この近くでは、志布志に夏井の番所というのがあります。
志布志市の夏井番所跡
そこがだいたい昔の形で残っています。夏井の海水浴場のずっと西側で、今の道路とは全然違う、海岸に近いほうにあります。
昔の網元の家
そこ(津口番所の近く)に古い家があるので見て行ってください。相当古い造りです。
これは文化財指定をしたいと思いまして、お願いをしたことがあります。峯嵜家、昔の網元の家です。
かつての網元の家
昔はここまで船が入ってきていたんですね。今は埋め立てられて広い駐車場のようになっていますけれども。
この裏はすぐ川が、港がありました。ですから番所もあそこにあったわけです。ここに船が入ってきていました。今とは全然川や港の位置が違っていましたので、昔はおそらくこの辺も海だったと思います。
志布志の、昔、貿易をしていた古い家では、家の中まで船を入れていたところもありました。
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