【きもつき情報局】歴史探訪 第4回 岸良編1 アンダドン(阿弥陀堂)跡

きもつきの歴史をたどる歴史探訪。ここからは第4回岸良編がスタートします。
 
岸良は、文永11年(1274年)、肝付氏の第4代兼員(かねかず)の次男・兼基(かねもと)が領地を譲られ、岸良氏を名乗って治めるようになった土地で、肝付氏の本拠地であった高山ともかかわりの深い土地です。
 
岸良編の第1部では、阿弥陀堂跡を紹介します。解説は引き続き肝付町文化財保護審議会会長の海ケ倉喜通(かいがくら よしかず)さんです。
 

 
なお、下の文章は解説を書き起こしたものですが、話し言葉のため、若干の加筆・修正が加えられています。
 
岸良氏一族の墓が残る阿弥陀堂跡
 
ここはアンダドンと岸良の人たちは呼んでいますが、阿弥陀堂があった跡です。
 
rekishitanbo4-1-setsumeiban.jpg
岸良氏についての説明板
 
この一帯に阿弥陀堂があって、廃仏毀釈でその阿弥陀堂はすでに壊されていてなかったのですが、昭和13年(1938年)の水害で残っていた石塔などが流されました。
 
水害で流されて墓石などが散乱していたんですが、主な墓石だけを組み合わせてここに置いてあります。
 
そのほかは石塔の頭の部分だけがたくさん積んであります。以前は古い石塔がたくさんあったはずです。
 
この石塔は、あとで見に行く岸良氏の墓と遜色が無いくらいの大きな五輪塔ですから、おそらく岸良氏一族の墓だろうといわれています。誰の墓かはわかっていません。
 
最初、肝付氏の4代兼員(かねかず)の次男の兼基(かねもと)が文永11年(1274年)に岸良に移ってきます。その子孫がおそらくここに来て墓を建てたのだろうと思っています。
 
大きな石塔が2つだけどういうわけかあるんですが、その当時、岸良氏の首長といわれる人がここに住んでいたのかなあと思います。
 
rekishitanbo4-1-kishirashi.jpg
岸良氏一族の墓と思われる石塔
 
小さな庵のようなところは他にもありますが、大きなお寺というのは岸良に3つほどあります。
 
昔の、特にその土地を治めた人たちは神社を建てて、それにお寺も建てているんですね。もうだいぶ古い時期から、平安時代から神社とお寺と一体になる形で建てています。神仏混交といいます。
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