【きもつき情報局】歴史探訪 第6回 番外編2 肝付氏の居城 高山城 ①

きもつきの歴史をたどる歴史探訪。今回は番外編 第2部として、高山城跡について紹介します。
 
高山城は中世において大隅の広い地域を支配した肝付氏の本拠地であり、一度も落城したことがない堅固な山城でした。
 
解説は引き続き肝付町観光協会ガイド部会部長で、肝付町生涯教育課が主催する講座「ふるさと探訪」の講師を平成26年度から務める福谷平(ふくたに たいら)さんです。
 

 
なお、以下の文章は解説を書き起こしたものですが、話し言葉のため、若干の加筆・修正が加えられています。
 
国指定文化財としての高山城
 
これは高山城址の説明板です。ここが国指定文化財になったのは昭和20年(1945年)の2月22日です。
 
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高山城跡の説明板
 
 
日本の敗戦、終戦は同年8月15日です。大都市では空襲があったりして大変なころで、文化財どころではなかったんじゃなかろうかと思うんですが、それにはやっぱり理由がありそうです。
 
この戦争(第二次世界大戦)では、天皇を神仏化、神様にして、そういう教育をしてきたわけです。それで敗戦直前になっても、やっぱり天皇を中心にして国民の戦意を鼓舞するためにこれは指定したのではないかと思います。
 
なぜかといいますと、肝付氏の8代兼重は、(宮崎県都城市の)高城にいたんですが、南北朝時代に終始一貫して宮方について天皇を一生懸命支えました。
 
だから国指定になったのは、そういう兼重の功績があったからという要素も多分あると思います。
 
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肝付兼重の錦旗拝受の場面を再現した模型(宮崎県都城市 高城郷土資料館)
 
(そうしたいわれがなかったとしても)この城自体が名城です。
 
高山城のなかには330年祭の記念碑があって、そこには天正2年に落城と書いてありますが、ここは一回も落城した記録はありません。ですからあれは間違いだと思います。
 
負けはしましたけど、落城はしてないです。
 
ここの城は今でもひとつも開発はされていないし、そしてあまり風水害で崩れた箇所もありません。いつ築城されたかははっきりとはわかりませんが、築城された当時の姿をそのまま残している面では非常に貴重な城跡だと思います。
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