【きもつき情報局】歴史探訪 第7回 宮下編1 桜迫神社

きもつきの歴史をたどる歴史探訪。ここからは第7回宮下編がスタートします。
 
宮下編の第1部では、棒踊りやかぎ引きなどが伝わる桜迫神社を紹介します。解説は肝付町文化財保護審議会会長の海ケ倉喜通(かいがくら よしかず)さんです。
 

 
なお、以下の文章は解説を書き起こしたものですが、話し言葉のため、若干の加筆・修正が加えられています。
 
桜迫神社と神代三山陵
 
宮富地区(肝付町宮下、富山)は昔ひとつの村だったのですが、この桜迫神社はそのなかの郷社、村のなかの神社です。
 
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肝付町宮下にある桜迫神社
 
天喜(てんき)2年、1054年に「(大隅国)神階記」という記録がありますが、それには大隅宮下大明神という名前で書かれています。
 
まつられているのは鵜戸さん、鵜戸神宮のウガヤフキアエズノミコトです。
 
ここは以前、鵜戸六所権現と呼ばれていました。そして明治時代になって桜迫神社という名前に変えられたようです。
 
この一帯はウガヤフキアエズノミコトが住んでおられた宮跡だという伝説地です。(史実として)実際ここにおられたということではありません。
 
隣に昭和15年(1940年)に鹿児島県が伝説地としてウガヤフキアエズノミコトの宮があったところだということで記念碑を建てています。また、ウガヤフキアエズノミコトは吾平(あいら)山上陵に葬られたということです。
 
ニニギノミコトが天下ってきて、その次の代がヒコホホデミノミコトですね。こちらは国見山上に陵があったといわれていますが、今は空港の先(霧島市溝辺町)とされています。
 
明治に入ってから、(神代)三山陵という山陵をどこにするかということを明治政府が決めました。そのときに鹿児島県内に3つとも決めたんですね。
 
ニニギノミコトは川内(薩摩川内市宮内町)の可愛(えの)山陵です。それからウガヤフキアエズノミコトが吾平(鹿屋市吾平町)の吾平山上陵、ヒコホホデミノミコトは溝辺の高屋宮と。これは伝説地ですので実際そこにおられたということじゃないわけですけれども。
 
三山陵の位置図
 
国見山上の陵も高屋宮と呼ばれるんですが、これらを決めるときに論争があったそうです。国見山上にもヒコホホデミノミコトの陵があるんだと。
 
それが今の溝辺の先となったのは、ヒコホホデミノミコトの高屋山陵は高千穂宮の西にあると古事記に書いてあるからです。高千穂宮というのは今の鹿児島神宮の隣で、大きな記念碑が立っています。
 
そこから西側ということで、溝辺に決めてしまったんですよ。
 
これは明治政府が、特に鹿児島出身が多かったものですから鹿児島県内に3つとも決めたんです。宮崎県などにもそういう山陵があるという伝説はあります。
 
桜迫神社は、宮崎県の日南にある、ウガヤフキアエズノミコトの鵜戸さん(鵜戸神宮)を勧請してまつったということで、鵜戸六所権現と最初は呼んでいたということです。
 
本殿には、古い江戸時代の建物が屋根の中に保存されています。まだ割合しっかりしていますので、保存のために上に覆い屋根をつくったのですね。
 
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桜迫神社の本殿部分
 
かぎ引き
 
ここでは旧暦では2月の19日だと思いますが、今は3月の第2か、第3の日曜日に棒踊りを奉納しています。
 
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桜迫神社の棒踊り
 
そして、かぎ引きもあります。見られた方もあるかと思いますが、かぎ引きの行事は、昔は町内の各神社で行っていました。今ではここだけしか残っていません。
 
かぎ引きは当日の朝、この上の山で大きな二股になったのと、かぎになった木の枝を切ってきます。
 
雄と雌になっていて、それをひっかけて引っ張り合う行事です。
 
これは生産の意味です。豊年豊作や子宝に恵まれるというような生産を意味した行事です。
 
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桜迫神社でのかぎ引き
 
かぎ引きと棒踊り、それから田の神舞があります。
 
ここでは最初に牛を、車がついた小さな牛の模型を引っ張って田んぼを耕す仕草をします。その後は柴をさして田植えの模擬。そういうのをしてから田の神さぁというのが出てきます。それがまた面白いんですよ。
 
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桜迫神社の田の神舞の様子
 
ほかの神社でもいろんなかぎ引きとか、棒踊り、鎌踊りの奉納というはあったんですけれど、今はもうここだけしかありません。波見と野崎では鎌踊りか棒踊りを奉納していますが、それ以外はもうほとんどなくなってしまっています。
 
もともと四十九所神社などでは、鎌踊りとかそういうものはなかったんですね。地方の神社、村社では豊年豊作を願う、奉納行事が行われていました。
 
そのほかには田の神舞などの神舞(かんめ)が各神社で行われていました。
 
今でもあるのは岸良の平田神社です。盆の15日に岸良の浜で長刀舞とか神舞をしていますね。それ以外はなくなりました。貴重な文化財なんですけれども、伝承する人がいなくなって、なかなか伝承ができないといった状態なんですね。
 
町指定文化財の仁王像
 
この石像はおそらくここにあったものではなくて新福寺というお寺のなかにあったはずです。
 
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新福寺にあったといわれる石像
 
仁王像、これは町の指定(文化財)になっているんですが、この仁王像も新福寺にあったものです。それを廃仏毀釈でお寺が全部壊されて、埋められていたのを後で掘り起こして持ってきて立てたんですよ。
 
大体神社の前にあるのは昔その隣にあったお寺の仁王像とかそういうのを移したものです。
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