地域の歴史について語り合う場をつくろうと古瀬徹さん・マルさん夫妻の呼びかけで始まった肝付歴史茶話会が9月20日に開催されました。
8回目となる今回は10名が参加し、薬丸野太刀自顕流やその歴史について薬丸野太刀自顕流保存会の福田陽一さんから解説がありました。
薬丸野太刀自顕流について説明する福田さん
福田さんは、まず同保存会の肝付高山道場が平成17年に開かれた経緯やその当時、高山が自顕流の発祥の地であるとはあまり知られていなかったこと、現在の活動状況などを紹介しました。
続いて、野太刀自顕流の始祖は肝付氏の祖である伴兼行としており、大隅国肝属郡の弁財使となり肝付氏を名乗った兼貞(兼行の孫)の二男(兼任※)の息子、兼平が薬丸姓を名乗って野太刀の術を伝えていったとされていること、関ヶ原の戦いで島津義弘とともに敵中突破した薬丸壱岐守が中興の祖であることなどを説明しました。
※長男の兼俊の代から高山に居住。
薬丸野太刀自顕流の演武の様子
参加者からは薬丸氏が内之浦の地頭を勤めていたことや、戦中には旧高山町内の各地域の集会所に男の子が集められて横木打ちなどの修練が行われていたことなどの補足説明もありました。
その後、肝付町の歴史を研究している平田好二さんが町役場で保管されていた資料から見つかった明治初期から大正時代までの高山地域の中心部の地図をつなぎ合わせたものを披露、参加者は興味津々に覗き込み、「船がこのあたりまで来ていたと聞いたけど、やっぱり水路があったのですね」などと口々に言いながら子どもの頃に聞いた話や記憶を手がかりにかつての町並みについて確認していました。
地図を確認する参加者
また、肝付歴史茶話会の今後の活動についても話し合われ、「高山歴史研究会」と名称を改め、参加者を増やせるように公共施設で開催していくことなどが決まりました。
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