きもつきの歴史をたどる歴史探訪。第7回宮下編の第3部では、神武天皇生誕の伝説にちなむ塚と石碑を紹介します。
解説は引続き肝付町文化財保護審議会会長の海ケ倉嘉通(かいがくら よしかず)さんです。
なお、以下の文章は解説を書き起こしたものですが、話し言葉のため、若干の加筆・修正が加えられています。
イヤ塚と記念碑
ここはイヤ塚といいます。胞衣(ほうい)、子袋のことをこちらの地方の言葉ではイヤといいます。
神武天皇の胞衣を埋めたという伝説が残るイヤ塚
神武天皇が誕生されたときにそのイヤを埋めた所ということで、イヤ塚と名前がついています。すぐ近くからここに移されて記念碑が建てられました。
また、神武天皇の誕生地ということで、堤防の下には記念碑が別にあります。
この記念碑は「神武天皇御降誕傳說地」と書いてあります。神武天皇はここで誕生されたんですよという記念碑なんですね。
神武天皇の誕生地として建てられた石碑
もともとは河川敷のなかにあったのですが、堤防ができたのでここに移したんです。4年前ですかね。
(それ以前は)窪地になってしまって下の方は埋まってしまって頭だけ見えてましたが、
4年位前にそこの先に住んでいる方が私費を出してここに直してくれたんです。そして立派な囲いまでしていただきました。
記念碑そのものはその前のもので、(桜迫神社近くの)西洲宮(にしのくにのみや)の跡の記念碑と一緒に建てたものです。
ウガヤフキアエズノミコトと神武天皇がここで育ったという伝説があるわけです。
さっき宮下の地名のことをいいましたが、宮下地区の富山は「鳥見山」と呼んでいたそうで、鳥見山が富山になったんだという伝説が伝わっています。
そして神武天皇はここで誕生されて小さいころに富山に遊びに行かれていたと、富山は遊行の地といわれています。
今後の講座で、波見にある神武天皇ご発航の伝説碑も見たいと思います。
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