【きもつき情報局】歴史探訪 第8回 波見・野崎編2 轟滝の観音像

きもつきの歴史について学んでいく歴史探訪。第8回波見・野崎編の第2部では、轟滝近くにまつられている十一面観音について紹介します。轟の滝は夏場の水遊びスポットとしてにぎわう場所です。
 

 
解説は引続き肝付町文化財保護審議会会長の海ケ倉嘉通(かいがくら よしかず)さんです。なお、以下の文章は解説を書き起こしたものですが、話し言葉のため、若干の加筆・修正が加えられています。
 
■十一面観音像と安産祈願
 
波見寺(はけんじ)という、どこにあったのか特定できていないところがあるんですが、この辺り(轟の滝周辺)だろうとわたしは思っています。
 
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波見地区にある轟の滝
納骨堂をつくるために全部古い墓石を下に埋めてしまったので、昔の波見寺の形跡というのはありませんが。
 
波見城があって、ここにお寺があったという形だったのではないかと思っています。
 
このお堂のなかには観音様がまつられています。石像で、頭の上にまた観音像がついている十一面観音です。
 
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十一面観音像
 
この観音様は安産の神様です。ですからこの周辺の波見地区だけではなくて東串良や串良からも安産を祈願するためにお参りに来ます。
 
そのなかによだれかけがたくさん下げてありますが、これらのよだれかけは無事出産して、 お礼参りにきたときに赤ちゃんが健康に育ちますようにとそこに下げるんですよ。
 
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十一面観音の堂内部
 
以前、数えたときは160枚ぐらいありました。今どうなっているかわかりませんけれども。
 
そんなにたくさんはありませんが、最近でもやっぱりお参りやお礼のお参りに来ている人がいます。
 
お礼参りにくるのを、願ほどきというんですね。
 
昔の人達は、最初、出産前に願掛けに来て岩田帯などを巻いて、安産祈願をしていました。
 
そして子供が生まれたら、何カ月か経ってから赤ちゃんを連れてきて、ありがとうございましたという願ほどきをしていたんですね。今も名残が残っています
 
観音様は波見に2カ所あります。もう一カ所は、硯石の港の上にちょっと坂をのぼったところにもあります。いつ建てられたかというのははっきりわかりません。
 
だいぶ古い時期に 江戸時代ぐらいには建てられたものだと思います。そこにたくさんあるのは水神様です。水の神様をまつっているんですね。そこから波見の方の田んぼに水をひきます。
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