第7回高山歴史研究会が2月20日、「勤皇の志士 是枝柳右衛門」をテーマに、肝付町郷土資料館で開催され、町内外から12名が参加しました。
今回は海ケ倉嘉通(かいがくら よしかず)会長が是枝柳右衛門について書かれた本(「是枝柳右衛門―幕末志士」/黒木弥千代 著/1963年)を中心にその生涯を紹介しました。
歴史民俗資料館で行われた研究会の様子
是枝柳右衛門は現在の鹿児島市・谷山で商人の息子として生まれ、15歳で東串良町・柏原へ両親とともに移住、一年後、肝付町・高山へ移り、32歳まで暮らしました(「谷山市誌」参照)。魚や塩を売り歩いて親を養いつつ、高山の宇都宮東太(※)らに師事、短歌や漢学などを学びました。
※宇都宮東太…1818~1906年。幕末の漢学者。文武両道に秀で和歌・華道・茶道の師匠。(出典:高山郷土誌)
その後、谷山に帰り、学問を教えますが、精忠組の人々と交流し、尊王攘夷運動にかかわるようになりました。薩摩藩士らの同士討ちとなった寺田屋事件の後、過激派の中心的な役割を果たしていたとして屋久島に流刑となり、その地で没しますが、明治政府により、明治29年に従四位を追贈されました。
海ケ倉会長は「町民でありながら武家社会であった幕末の激動の時代に活躍した、すごい人物が青年時代を高山で過ごしたことを地域の人々にぜひ知ってもらいたいですね」と話しました。
※「谷山市誌」は鹿児島市のホームページにおいてPDF形式で閲覧できます。
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