第9回高山歴史研究会が7月16日、肝付町文化センターで開催され、町内外から17名が参加しました。
今回は「古代のきもつき」をテーマに平田好二さんが邪馬台国の背景として、石器時代から縄文・弥生時代にかけての最近の学説の動向を中心に紹介しました。
研究会の様子
はじめに平田さんは魏志倭人伝における邪馬台国の記述について取り上げ、邪馬台国が存在したのは弥生時代(通説では、おおよそ紀元前300年~紀元後300年※)であることをあらためて確認、記述に基づいて簡潔に邪馬台国の風習や制度を紹介しました。
※弥生時代の始まりについては諸説あります。
それらを踏まえた上で、かつて弥生時代に入ってから行われたとされていた稲作が、今では縄文時代に始まっていたと考えられていること、遺伝子学上のアプローチにより稲作が朝鮮半島経由ではなく大陸から直接入ってきたという説が有力になっていることなどを紹介しました。
また、日本人の遺伝子的な起源や日本語の成り立ちに関しての研究動向についてなども解説しました。
次回はさらに邪馬台国について解説する予定です。
その後、海ケ倉善通会長から、塚崎池近くにある宝泉寺跡の野崎氏と伊地知重興(垂水本城の城主)の墓の案内板が設置されたことや町内の文化財を収録した冊子「肝付町の文化財」の紹介がありました。
野崎氏の墓がある宝泉寺跡
新しく設置された案内板
伊地知重興の墓
「肝付町の文化財」は肝付町歴史民俗資料館で販売されています(500円)
また、今後の活動について、史跡巡りの実施やパンフレットの作成などをしてはどうかなど、話し合われました。
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