肝付町後田の谷間にある、たたら池。現在は農業用水のため池として使われています。
上空から見たたたら池
この人口の池がいつつくられたかは定かではありませんが、1772年(明和9年・安永元年)に修築した記録があるのでそれ以前につくられたことは確かなようです。
池に注がれる水は山を越えた所にある、川上地区から引かれています。川上地区の折生野で高山川から取水され、片野からはトンネル(隧道)で山の中を抜け、たたら池へと水路を通っていきます。
川上地区の山の中にある片野隧道
たたら池の名前の由来は、池周辺で製鉄が行われていたからと考えられていて、時代ははっきりしませんが、製鉄が行われていた痕跡は確認されているそうです。
その「たたら池の鉄」をテーマに、2月25日、町文化センターで第12回高山歴史研究会が開かれました。
地域の歴史を研究している平田好二さんが、鉄について化学的な性質などについてわかりやすく説明した後、製鉄の歴史を解説、鉄鉱石ではなく砂鉄から製鉄するたたら製鉄の技法と肝付町の地名の由来とのかかわりなどを紹介しました。
研究会の様子
たたら池と池から流れる境川においては、鉄穴(かんな)流しという方法で砂鉄の採取が行われていたと考えられ、その結果として川底に土砂がたまることで、下流域でたびたび洪水が起きていたそうです。
洪水のあとに土地の境界をめぐってよく争いが起きていたことから、その地域に「論地(ろんじ)」という地名がつけられたといいます(論地には、「所有権・占有権・使用権をめぐって争われている係争地。訴訟対象となっている地所【出典:デジタル大辞典】」といった意味があります)。
また、論地の少し上流側には「協和」という地名があるのですが、ここは、そうした争いをやめて仲良くしようということで、この地名をつけたのだといわれているそうです。
ほかにも、かつて鍛冶屋が多かったという八幡馬場には「たたら」姓の家がいくつかあり、実際に炉の跡がいくつか残っているのを現地で確認したことなどを紹介しました。
また、参加者からは製鉄で使われていた木炭にからみ、「国見山系にある万滝の周辺地域には炭焼場の跡がいくつも残っている」といった話が出されました。
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