「ロケットのまち」といわれる肝付町内之浦は漁業の盛んな港町でもあります。
なかでもブリの定置網漁業は藩政時代から続けられているそうです。
晴天の内之浦漁港
昭和60年には、1万匹を超えるブリがとれ、内之浦漁協婦人部が市場でお祝いの踊りをするなど、大いににぎわったといいます。ちなみに、漁の様子などを寸劇仕立てにしたこの踊りは「万越し祝」として、地域の女性たちが20数年後に町民体育祭で再現したのをきっかけに、イベントなどで披露するようになりました。
郷土芸能フェスティバルの舞台で披露された「万越し祝」(2015.11.8)
そうした記念となるくらいの1万匹を超えるブリの豊漁、「万越し」が31年ぶりに今年4月にもありました。
水揚げしたのは内之浦漁協所属の定置網漁船第一昌徳丸です。
「万越しの言葉自体は知っていましたが、まさか夢にも思わなかったです」と話すのは同船の柳川拓哉漁労長。第一昌徳丸では、漁労長含む8名で漁をしています。
説明する柳川漁労長
当日はいつも通り、特に変わった様子もなかったそうです。定置網は水深40メートルほどの深いところにあるので、近づいただけでは、どのくらいの魚が入っているのかはわかりません。
網を引き上げるにつれ、「いつもと違う」ことがわかったそうです。
「大体は一度に500から600本くらい。多くて千本」というところに1万匹を超えるブリの姿。「ただただ驚きました」と柳川漁労長。
船へ引き上げられるブリ(提供動画より抜粋)
通常の漁では、ひとつの半分ほどしか使わない魚倉ふたつを満杯にして、初日は3300本を水揚げしたそうです。4月8日までに、5日に分けて港へ運び、最終的には約1万200匹の水揚げとなりました。
第一昌徳丸の魚倉(魚が入っている様子は動画でご確認ください)
「漁師は魚がとれないときもありますが、夢のある仕事だと思います。目標はやはりたくさん魚をとること。とれた魚を自分たちで販売し、ブランド化することを目指していきたい」と柳川漁労長は語ります。
今回は、この「万越し」の漁の様子を一部動画でもご紹介します。動画の素材は柳川さんの弟、隼太さんが第一昌徳丸に設置したカメラで撮影したデータを提供してもらいました。ぜひ御覧ください。
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