【きもつき情報局】歴史探訪 第6回 番外編2 肝付氏の居城高山城⑥

きもつきの歴史をたどる歴史探訪。最終回の今回は前回に引き続き、高山城跡を取り上げ、本丸周辺の防戦のための構造について解説します。
解説は引き続き肝付町観光協会ガイド部会部長で、肝付町生涯教育課が主催する講座「ふるさと探訪」の講師を平成26年度から務める福谷平(ふくたに たいら)さんです。
なお、以下の文章は解説を書き起こしたものですが、話し言葉のため、若干の加筆・修正が加えられています。
本丸跡
 
ここは本丸跡です。今空堀を上がってきましたが、まっすぐ来れば近いですよね。でも、わざと曲がっています。こういうつくりを虎の口と書いて虎口(こぐち)というそうです。
高山城の本丸跡

<div>曲がっているので、攻めてくる速度とか兵力が落ちるわけです。防衛するための城のつくりの一つです。

あそこに堤のようなのがありますね。あれが土塁です。人工的に土を盛って防戦に備えたところです。
本丸跡の土塁
左のほうは空堀とは違って崖を削って垂直にしてあります。切岸(きりぎし)というそうです。崖を垂直に削って敵が登りにくいようにした工法で本丸を守っているところです。
本丸の下から見上げた切岸
ここの城が不落だったという理由を私なりに2つ考えています。
金山川または本城川と呼ばれている国見山系から流れてくる川と、二股川あたりから流れてくる高山川の支流と、それから北側にもうひとつ栗山川という川が流れています。いわゆる生きた川で守られていることが、強みの一つだと思います。
もうひとつの強みは北側のところに山があってこちらが全然見えないんですよね。屏風を立てて目隠しをしたようなものです。
だからここはこういう急峻なところで、河川が3つもある恵まれた地形の山城だったと思います。
肝付氏はいいところを選んだと思います。こういうところはめったにないです。自然をうまく利用できる、いいところです。
土塁
 
これが土塁です。城の形態によっては、この土塁のところに軽石を敷いて、その上に石をずっと敷き詰めます。
土塁の上で説明する福谷さん(左)
敷き詰めて土の流出を防ぐのと、敵が攻めて来たときにそれを剥がして上からぶつけて防ぐという使い方をしたようです。
空堀、切岸、土塁といったいろいろな工法で城はつくられています。敵が攻めにくくて自分たちは守りやすいようにつくればいいわけです。
一騎通し
 
中世の山城は鹿児島県では851あるそうです。そのなかで一騎通しがちゃんとこうして記録にあって、現地も残っているというのはここの高山本城だけで、どこにもないです。それだけはみなさん誇りに思ってください。
一騎通し跡
馬一騎が通るくらいしか道(幅)をつくっていないので、横に2騎も3騎もとか、人間が4人も5人もとか通れないです。
通るところを両側から石を投げたり槍で突いたり弓を射掛けたりして抗戦したわけですね。
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