約900年の伝統を誇る高山やぶさめにとって今年(2013年)は画期的な年となりました。キルギスタン鹿児島友好協会の要請を受けて、中央アジアの国、キルギス共和国に渡ることになったのです。
全国から選ばれた現地の少年に高山伝統のやぶさめの技を伝授し、8月31日の独立記念日に日本のやぶさめをキルギスの人たちに披露することになり、高山流鏑馬保存会の会長以下、5名のメンバーが現地に向かいました。
今回のインタビューでは、現地を訪れた保存会の益山俊一会長と去年の射手を務めた益山麗斗君、そして迫田茂稲副会長の3人にキルギスでの交流について話を聞きました。
※なお、以下の文章は話し言葉を書き起こしたもので、読みやすくするために若干の修正と加筆を行っています。
▼高山流鏑馬保存会・益山俊一会長
――まず、キルギスに高山やぶさめが渡るというきっかけ、その経緯について簡単に説明していただけますか。
キルギスタン鹿児島友好協会があって、そこから最初話が来ました。それで行こうと思って、保存会のメンバーに聞いて、行ける人は行こうかということになって行きました。
向こうへ着いて夕方は歓迎会がありました。明くる日からキルギスの国立競技場で現地の会長とか射手の子どもたちと会いまして、それから練習をずっと指導してきました。
馬に慣れ親しんでいるキルギスの人たち
――キルギスの人は馬に慣れ親しんでいると聞いたんですけれども、実際ご覧になってどんな感じでした。
すごく上手だったですよ、やっぱり遊牧民というか。街中はすごく車が多いんですけども、馬にはもう小さい頃からはだか馬で乗っていて。けものをとるために馬上で弓矢を使うこともあるようです。
(器用に馬を乗りこなすキルギスの少年)
――もともとそういう文化がありますから、日本のやぶさめを伝えるというのもそれほど難しいことはないというふうにいえるのですか。
そうですね、日本より、高山よりはすごくやさしかったというか、簡単だったですね。
――ただそうはいっても、やはり微妙なところで文化が違ったりすると思うのですが、戸惑った点とかはありましたか。
まず言葉が通じない。通訳がいてもやっぱり向こうは向こうのやり方があって、われわれは日本のやり方、高山のやぶさめを指導にいったわけだから、そこでやっぱり向こうもこっちをわからないし、敬遠していましたね。だから一時途中でもうやめて帰るかとか、そういう腹が立つぐらいのところはあったんですけどね。いろんなことがありました。
大観衆の中で伝統の技を披露
――いろいろ困難もあったんでしょうけども、実際の8月31日の独立記念日、その様子について教えていただけますか。
大統領も来られて警備もものものしく、普通の人は車も通行止めになって、何キロも先から歩いてくるとかですね。われわれは友好協会でいくものだから国賓じゃないんだけど国賓扱いみたいな感じで、車も通してもらいました。観衆がすごく多く、警備のほうも、ものものしかったです。
(現地で打ち合わせをする益山会長)
――ビデオも見させていただいたんですけど、すごいですよね。
すごいですよね。言葉はわからないけど、拍手とか歓声とかはわかるじゃないですか。それでこう震えがくるというか、すごくうれしいというかですね、来てよかったなと思いましたね。
(一列になって入場するメンバーと射手の少年)
――最初の国際交流ということなんですけれども、やってみて感想はどんなものでしょうか。
やっぱり行く前はみんなさまざまな思いがあって、治安や水、食べ物など心配していました。その通りにおなかをこわしたりはしたんですけど、みんな帰って来てから、行ってよかったっていってくれたから、ぼくはすごくうれしかったですね。
――キルギスを経験されたことで、今年10月20日のやぶさめに対する思いとか姿勢とかで、何か変化はありましたか。
世界に行って、これだけ新聞に載せていただいたりしたら今まで以上にもっと立派な高山やぶさめにしなければと思いましたね。
(今年の高山やぶさめ)
――今回はじめてキルギスとの交流が始まったわけですけれども、会長ご自身としてはこれがどういうふうに発展していけばいいなと思いますか。
今度は向こうの人がこっちに来て、うちの本番を見ていただきたいとか、お互いにそういう交流をしていければいいですね。
日本とキルギスの文化の融合
――日本から衣装も持って行かれたわけですね。
そうです。
――だいたい何人ぐらい観客の人が来ているものなんですか、万単位ですか。
報道では2万人くらいといっていました。(写真を指さしながら)こういう感じですね。あっちにもこっちにもという感じ。馬場というか国立競技場のメインスタンドだけで見るのではなくて、両サイドや真向かいも観衆がいて2万人くらい座っていました。
白い服を着ているのが警察官です。1メートル間隔で立っていましたね。
(会場では)「ジャパン、ジャポン、サムライ」声援が飛ぶわけですよ。紋付袴とか着物を着ているわけですから、日本の侍「ジャポン、サムライ」って声がすごかったですよ。
――これは剣道着ですか
この子たちが着ているのは剣道袴です。これはうちのやぶさめの射手が着る当たり前の着物です。
(剣道袴を身に着けたキルギスの少年)
――射手はどういう基準で選ばれるんですか。
やっぱり向こうの会長の意向と、あと、できるかできないかというのをずっと練習をさせながら見ていきます。ションコという小さい子がいて、その子を(キルギスの)会長がすごく推していたのですが、手が短くて、えびらから矢が抜けなくて、最終的にその子はだめということになって、それでこの子に決まったんです。
上手でしたよ。向こうのやぶさめは大きな的に羊とか鹿とか絵が描いてあるんです。
(高山やぶさめの的とキルギスの的)
――ここに鹿が描いてありますね。
独立記念日のときも日本のやぶさめと、向こうのやり方のやぶさめでしました。だからお互いのやぶさめをしたから観衆も特に喜んだんじゃないかなあと思いました。日本とキルギスとも「わがふるさとのやぶさめ」ができて、すごくよかったと思いますね。
的当てを2回して、その後に向こうの的当てをするということで(けものの絵が描かれた)的を立てました。だから射手の子は日本の弓を使ってから、キルギスのやぶさめをするときは向こうの弓を使いました。
――この子たちはこの練習をする前は弓矢を射ったことがあるんですか。
あるんですよね。この子たちは(首都の)ビシュケクから4時間、5時間離れた村から選考されて、5つの村からばらばらで来て、毎日帰るのは4時間もかけて5時間もかけて帰れないからということで、親戚のおじさんおばさんのところに泊まっていました。
▼2012年度流鏑馬射手・益山麗斗くん
――最初にキルギスに行くと聞いてどういう感想を持ちましたか。
その国の名前を聞いたこともないし、治安とか食べ物とか水とか心配でした。
――実際現地ではどんな役割というか、仕事をしたのですか。
高山のやぶさめをキルギスの射手に教えるという役割をしました。
――キルギスの人はすごく馬に慣れているということですが、子どもたちも慣れているんですか。
はい、慣れていました。
――見ててやっぱりうまいなあとか思った。
思いました。乗馬がとても上手でした。
――実際に指導にあたったわけですけれども、難しい点とかありましたか。
一番難しかったのはやっぱり言葉が通じないことですね。言ったことをすぐできなかったりとか、そういうところがあったから難しかったです。
――逆に楽しかった点はどんなところですか。
一人仲が良くなった子がいたんです。その子と会ったときにあいさつみたいなのとかするときですかね。いっしょにいる時間が楽しかったです。
――その子とはどうやってしゃべっていたんですか
ジェスチャーです。
――実際8月31日にあれだけの人の前でやったのですが、その日の感想はどんなものでしたか。
やっぱり人の数がすごくて、それまでの練習経過を見ていた限り、成功するのか心配でした。でも成功したのでよかったです。
――高山のやぶさめの歴史にとっては(海外でするのは)初めてですよね。実際にやってみて、どんな感想を持ちましたか。
これからもこの交流が活かされて、国際交流として発展していってくれればいいです。
――これはどこで撮った写真なんですか。
普通に道中の電柱にカレンダーがはってありました。
(街中にはられたやぶさめのポスター)
――いろんなところにはってあったんですか。
はい、いろんなところにはってありました。
――結構宣伝がされていたんですね
はい、されてました
――これは向こうの弓になるんですか。
はい。日本の弓とは比べ物にならないほどかたくて、本当に引くのに力がいりました。
(キルギスの弓を引く麗斗君)
▼高山流鏑馬保存会・迫田茂穂副会長
――現地に行かれて交流された感想を一言お願いいたします。
行ったことのなかった国ですが、日本との交流の場としては最高の国だと思っております。
(キルギス訪問に参加した保存会のメンバー)
――行ってみて本当によかったですね。
よかったです。行って向こうとの交流ができたことは、本当にすばらしいことだと思っております。
―高山のやぶさめの歴史にひとつ新しいページが加わりましたね。
そうですね。我々が行って向こうの人たちに高山やぶさめを教えたことはいい交流になったと思います。
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