1995年で運用を終了したM-3SⅡロケット。それまでに数々の重要な衛星を打ち上げ、宇宙科学分野に大きく貢献してきました。
初めての運用は1985年。日本で最初の惑星間探査機(地球以外の天体などを探査する目的で地球軌道外の宇宙に送り出される探査機)「さきがけ」と「すいせい」を打ち上げたことに始まります。
この両機は約75年周期で地球に接近するハレー彗星の観測を目的とした探査機で、その全容を解明するために世界各国との共同研究体制のもとすすめられました。
そんな大きなミッションが地元で行われるのですから、当時を知る人によると打ち上げ場所となった肝付町内之浦地区では、住民、射場関係者とも期待に胸ふくらませ大いに沸き返っていたそうです。
成功を喜び合う実験班と地元の人々(参照:内之浦宇宙空間観測所の50年)
性能確認をかねて開発された試験探査機MS-T5はM-3SⅡ型1号機に搭載され、1985年1月8日未明に打ち上げられました。同探査機は「さきがけ」と名付けられ、探査機、ロケット、追跡用の大型アンテナなどすべての性能が確認されました。
これにより同年、打ち上げ予定の本格的な探査機打ち上げに向け、文字通り先駆けとなったのです。
「すいせい」と命名された、探査機PLANET-Aは8月19日に打ち上げられ、太陽周回軌道からの観測ミッションをこなしハレー彗星の謎解きに大きく貢献しました。
◉M-3SⅡロケットの実力
そのような2機の探査機を惑星間軌道に載せたM-3SⅡは全長27・8メートル、総重量62トンの3段式固定燃料ロケット。また全段固体燃料での地球重力圏の脱出は不可能という当時の既成概念をやぶった機体でもあります。
性能のみならず、その見た目も人気のひとつだったようで、打ち上げを間近で見た人は「何といっても2基の大型ブースタ。一目でわかるシルエットが上空へと打ちあがる姿は何ともいえないかっこよさがありました」と、当時の様子を思い返します。
M-3SⅡは運用終了までに全8機が製造され、探査機や人工衛星など7機を宇宙に送り届け、その役目を終えました。
日本の宇宙科学を国際舞台へと押し上げたM-3SⅡと探査衛星。内之浦宇宙空間観測所宇宙科学資料館には、ハレー彗星観測に関わる資料が多数展示してあります。その偉業を再確認するために足を運んでみるのもいいかもしれません。
【宇宙科学資料館】
鹿児島県肝属郡肝付町南方1791-13
TEL050-3362-3111
開館時間:8:30~16:30
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