【きもつき情報局】大作曲家による港町の校歌

朝の連続ドラマ小説の影響で注目を集めている、国民的作曲家「古関裕而氏」。映画モスラの劇中歌や夏の全国高校野球の行進曲など、生涯にわたり5千曲を作曲したとされています。

そんな大作曲家の作品が鹿児島県肝付町の港町にある内之浦小学校でも校歌として歌われ続けています。福島県出身の古関氏がなぜ縁もゆかりもない学校の校歌を手掛けたのか?その疑問をはっきりさせるために同校の永峯光朗校長が作曲にいたるまでの経緯を調べました。

古関裕而氏

永峯校長が注目したのは校歌を作詞した田中親人さん。同校の初代PTA会長でもあった田中さんを父にもつ、校区内在住の橋本雅子さんに話を聞いたそうです。

そこで明らかになったのは、古関氏本人と元内之浦中学校教員との手紙のやりとり。1978年、その教員が小学校の校歌に古関氏の名前があったことに驚き、確認のための手紙を出したのが始まり。「40年も昔のことで私全然記憶がありません。楽譜でもお持ちなら一度拝見すれば、私の作かどうか或はわかるかもしれません」とさっそく返信がありました。

すぐさま楽譜を送り、その後「これは間違いなく私の作曲です。昭和6年頃と言いますと、私が作曲家になりたての頃」と自らの作品であることを認める手紙が届きました。

古関氏直筆の手紙

橋本さんによると、作詞を手掛けた父親の親戚が古関氏と旧友の仲で、その親戚を通じて作曲を依頼し、田中さんの歌詞に古関氏が譜をのせ、校歌が完成したのだといいます。

作曲までの経緯が明らかになったのち永峯校長から古関氏について説明をうけた同校の児童らは、驚きと同時に前にもまして校歌への誇りが芽生えた様子だったといいます。永峯校長は「学校を巣立っても、生涯歌い続けられる、いつまでも忘れない故郷の曲になってもらえたら」と話していました。

古関氏とのつながりを証明する手紙は、今でも橋本さんの手元で大事に保管されています「長い間、よく唄って頂き有難う存じました。どうかこれからも御愛唱下さるように」と、そこには古関氏の感謝の気持ちも綴られています。


2015年収録、当時の4年生7人による校歌斉唱です。

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