【情報局】地域と歩んで60年

これまで400機を超えるロケットと日本初の人工衛星「おおすみ」や小惑星探査機「はやぶさ」などを打ち上げてきた内之浦宇宙観測所が2月2日で設立60周年を迎えます。

ロケット発射場建設が正式に発表されたのは昭和36年(1961年)。ロケット開発の父と呼ばれる糸川英夫博士がこの地を選定し、工事が始まりました。

当時は地元の婦人会らも協力して土木工事に参加し、町をあげて作業をサポートしたそうです。その後も実験班と地元住民との交流は続き、今では「世界で一番、地域から愛されるロケット発射場」と呼ばれています。

土木作業に参加する女性たち

観測所が置かれている肝付町内之浦の長坪地区は山間部の丘陵地帯。太平洋側まで山がせり出し、当時いくつかあった候補地の中でもロケット実験場を設けるのは不可能と考えられていました。

丘陵地帯の長坪地区

ちなみにもっとも有望とされていた候補地が茨城県の鹿島台でしたが、漁船の出動率がきわめて高く、漁業問題を考えると鹿児島県南端を選ぶことが最善となったそうです。

そのために考えられたのが地形の大改造。丘陵地帯の山を削って台地をつくり、さらにその土で道路をつくるというきわめて画期的な土木工事です。

糸川博士は「県当局が好意的で実験場をここに設置するということに地元当局を含め強い意思表示があったということ、天候がこれまで飛翔実験を行ってきた秋田に比べてきわめて安定していて、天候待ちという状態は比較的少なく、天候待ちを考えれば旅費日数は秋田県とそんなに変わらないのではないか」と選定理由を語っています(出典:内之浦宇宙空間観測所の50年)。

ロケット開発の父とよばれる糸川英夫博士

それから60年が経ち様々な設備や施設が整備増設され現在の観測所が形作られました。当初は設置不可能といわれていたものを発想の転換で実現した奇跡の観測所は、これからも世界で一番、地域から愛されるロケット発射場として歩み続けます。

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