【情報局】古地図を使って麓を探検!高山麓まちあるき(前編)

肝付町の高山地区で2月21日、鹿児島県県観光連盟主催のファムツアー(旅行関係業者による視察ツアー)「高山(麓・野町)まちあるき」が開催されました。その名も「日本遺産とまだある麓を楽しむ日帰りバスツアー」です。

2日間にわたって開催されるのですが、この日の対象となるのは「垂水麓」「鹿屋麓」「高山麓」「志布志麓」の四カ所。このうち我々、肝付町観光協会が担当するのはもちろん高山麓。ツアーの講師として「まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会」の東川隆太郎さんが同行し、本格的な雰囲気の中で開催されました。

肝付町観光協会では何度も「高山(麓・野町)まちあるき」を開催していますが、今回はいつもとは一味違うアイテムを用意して案内しました。その名も「地租改正地引絵図」。

これは明治の初めに行われた地租改正事業の際に手作業で作成された地図であり、現在も法務省や国税庁などで用いられている図面で、字限図(あざぎりず)ともいいます。肝付町(旧高山町)ではこの字限図が全て無傷で保管されていたことが判明し、今から数年前に地元の「高山歴史研究会」によって麓の古地図として連結・再現されていたのです。現在では他の市町村でもこの字限図を使って歴史ガイドを行うところが出てきており、今後の歴史観光ガイドでは最重要アイテムの一つだと考えています。

しかし元の字限図が個別に手書きで作成されている上に測量もいい加減な部分が有り、例えば隣接する字(あざ・集落のまとまりを表す単位)一方が直線で、もう一方が曲線だとか、そもそも全て尺度が違うとか、元となる字図自体が混沌としており、連結するのは容易ではありません。(高山麓だけでも尺度がまったく異なる11の字図が連結されています)

研究会では拡大・縮小コピーを使ってアナログ式に切り貼りして大雑把な古地図を作っていたのですが、それを観光協会でデジタル化し、形が合わない部分を現況から判断して変形・加筆するなどしながら復元。そして完成したのが「地租改正地引絵図 高山郷麓地区」なのです。

  • コメント: 2
  1. 内之浦北方に母方の祖母(明治26年出生)の本籍(北方1817番地)・・・があります。
    令和5年3月28日(火)から30日(木)に京都より鹿児島に行く予定です。鹿児島市内より内之浦は、交通手段がバスのため、長時間移動することが、判明。断念せざるを得ないと考えています。
    ただ、この記事は、古地図が現存しているとのことで、祖母の出生時の現地の様子(居住地の家屋の表示)の手掛かりがあればとこのメールを打っています。もし、お許し頂ければ、古地図のコピ
    ーを手元にと願っています。
    勝手なお願いですが、どのようにすれば、内之浦の古い住宅地図や当時(明治26年)の資料などについて、調べることが可能でしょうか?
    お教え頂けないでしょうか。
    よろしくお願いします。

      • HirataKoji

      磯田様へ

      当サイトをご利用いただきありがとうございます。

      この肝付町内之浦地区が、御祖母様の生まれ育った地なのですね。さぞかし思い入れがあるものと思います。私ども肝付町観光協会も同じ地に拠点を構えておりますので、可能な限りの情報提供をさせていただきたいと考えております。

      なお、ご質問いただきました内容は、若干ではありますが磯田様の個人情報に関わるものと判断いたしました。

      以降の返信・情報提供は他のサイト利用者の方々の目に触れないようにメールにて行いたいと考えております。

      どうぞよろしくお願い致します。

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