【きもつき情報局】蘭渓道隆が開いた二つの寺~肝付歴史茶話会

町の歴史について語り合う「肝付歴史茶話会」が肝付町高山麓の日高邸で9月28日に開かれました。
 
同会は、日高家の武家門修復をきっかけに古瀬徹さんとマルさん(旧姓:日高)夫妻の呼びかけで始まったもので、3回目となった今回は町内外から11名が参加、「建長寺と道隆寺」をテーマに話し合いました。
 
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鎌倉にある建長寺
 
道隆寺は南宋の禅僧・蘭渓道隆(=大覚禅師)が鎌倉で建長寺を開山するより前に肝付町高山の本城に開いた寺で、明治初期の廃仏毀釈で破壊されたものの、現在はその跡地が整備されて石塔群などを見ることができます。
 
平成21年から吉田正道管長をはじめとする建長寺の関係者が毎年、道隆寺跡を訪れて交流が続いており、今年5月には寺跡の土地所有者であり、整備に尽力した福谷平(ふくたに たいら)さんをはじめとする26名が建長寺を訪問しました。
 
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資料を使って説明する福谷さん(手前)
 
会では、はじめに福谷さんから建長寺訪問に至るまでの経緯について説明があった後、訪問時の様子を撮影したビデオをプロジェクターで上映しました。
 
ビデオを見ながら、一般公開されていない国宝級の大覚禅師の木像や三門に安置された五百羅漢などを特別に拝観させてもらったことのほか、道隆寺跡から送られたツワブキが境内のあちらこちらに植えられていることなどについて、訪問団の団長を務めた福谷さんやメンバーの福田陽一さんらが説明しました。
 
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ビデオを見る参加者たち
 
続いて平田靱負の末裔で肝付町の歴史を研究している平田好二さんから道隆寺跡にある、島津氏の逆修塔についての考察が発表されました。逆修塔とは生前に建てる墓と呼べるもので、道隆寺跡からは中世に高山を中心として大隅地域を支配していた肝付氏の逆修塔や五輪塔が多数発掘されています。
 
今回、平田さんが取り上げたのは、1363年に大隅守護職を譲られた島津氏久(うじひさ)と元久(もとひさ)親子の逆修塔で、当時は肝付氏と友好関係にあったことや建てられたのは1379年にあった蓑原の合戦前ではないかと推定されることなどを解説しました。
 
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道隆寺跡の石塔群
 
また、臨済宗は中国・福建省を拠点として広がっており、日本には琉球を経由して入って来ていることから道隆寺はその中継点としての役割もあったのではないか、また鎌倉幕府が倒れた後の混乱によってそうした交流が途絶えてしまったのではないかといった推察も示されました。
 
今回はじめて参加した肝付町在住の山之内敦子さんは「専門的な話も聞けて勉強になりました。流鏑馬が伝わったころ、平安時代の肝付の話なども聞けたらいいですね」と語り、今後の会に期待している様子でした。
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