【きもつき情報局】なにもないから伸びしろがある

緑のふるさと協力隊を経て、地域おこし協力隊となった田中綾音さん。
 
静岡県出身で、肝付町に初めてやってきたのはまだ学生のときだった。
 
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(岸良の住民と談笑する田中さん。3年間の活動のなかで自分の負けず嫌いな一面に気づいたという)
 
緑のふるさと協力隊としての一年を終えて肝付町を離れるとき、また帰ってきたいと相談した住民からは「みんな外に出ていく。なにかするには難しいところだよ」と親身になったアドバイスを受けた。
 
「でも、本当に無理なのかなと思って。地域おこし協力隊として帰ってくることにしました」
 
3年間を過ごした今、「帰ってきてよかったと思っています」と話す。
 
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(田中さん:岸良のお気に入りの景色。晴れてるときも好きですが、雨だったり、くもったりしてるときの表情も好き)
 
田中さんの活動拠点は岸良地区。肝付町のなかでも、とりわけ高齢化が進んでいる地域だ。
 
「緑のふるさと協力隊のときは、同じ年頃の人たちはいなかったのですけど、今は地域おこし協力隊員がいて、若い移住者の方もいるのが心強いです。『よそ者』が増えたことで、違う考えを知ることができますし、それぞれ違うことをしていて、刺激をもらえる。とてもいい環境でした」
 
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(田中さん:岸良での楽しい日々①「ご近所さんとテコテン桜でお花見中」)
 
「岸良はとても居心地のよい場所」と田中さんはその魅力を語る。ずっといい場所であり続けられるよう、手伝うことができればと考えている。
 
「なにもないといいますけど、ないからこそ伸びしろがある。そこがうりなのではないでしょうか」
 
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(田中さん:岸良での楽しい日々②「岸良のソフトボール大会でホームランを打たれるピッチャー・田中」)
 
緑のふるさと協力隊として岸良にいたことを生かして自由に活動していいといわれた田中さんは、一年目から早速、「ナゴシドンのつなぎ手」の活動に取り組んだ。
 
ナゴシドンは岸良の浜辺で神舞を奉納する伝統行事。その舞手を担う人材がなかなかいないという問題を抱えていたため、交流人口を増やすためにも一年目は全国に向けて舞手の担い手を募集した(関連記事はこちら)。
 
「私みたいに岸良を好きになる人を増やしたかったんです。私のようなよそものが岸良に来て、地元の人と一緒に何か体験したり、つくりあげたりしながら、岸良のことを知ることができる素材を探していました。ナゴシドンはまさに岸良にしかないもので、ぴったりでした」
 
取り組むにあたって、ありがたく感じたことは数知れずあったが、一年目のナゴシドン当日はとりわけ印象に残ったという。
 
「舞手の着替えの段取りや水分補給など自分が考えられなかった、気が回らなかった部分を地域の人たちが自主的に準備して手伝ってくれたんです。岸良の人たちのすごい部分、面倒見のよさがよく出ているのでは」
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(一年目のナゴシドン。地元の住民が舞手に日傘を差してくれた)
 
二年目からは町外の人が舞手を担ったことに刺激を受けて、地域住民のなかから舞手に名乗りを上げてくれる人たちが出てきた。また、前年に舞手を務めた町外の人も参加してくれた。民間の伝統文化助成事業を活用して、道具や衣装を揃えるなど、今後の継承に向けての備えもできた。
 
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(昨年8月、集まった舞手たちに説明する田中さん)
 
「この取り組みについて、よそで事例として話をすることもあるのですが、これは地域内外の人々の協力がうまくかみ合ったからこそできたことで、他の地域で同じようにやってもなかなかうまくはいかないのではないかとも思います」
 
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(「鹿屋まちづくりミーティング」で、ナゴシドンについて話す)
 
ナゴシドンへの取り組みをきっかけに、チラシづくりやグッズづくりへの協力依頼を受けるようになった。
 
「ナゴシドンでつくったポスターやグッズに目を留めてもらえて。東京など、人の多い、人材の豊富な地域だったら、任せてもらえないでしょう」
 
また、人が多い場所では他に適任者がいるからと、自ら行動することなく済んでしまうが、人が少ないと、自分でしなくてはいけないことが増える。
 
分担するのも難しい面があり、「なんとか自分の知識や経験でやっていこうと視野が狭くなってしまったこともありました。けれど、さまざまな活動へかかわることで、わかってくることもあって。他の人に頼ったり新しいことを起こしたりできるように、視野を広くもてるようになりたいと今は考えています」
 
地域おこし協力隊として活動をしていて悩んだのは、「どこまでこだわるか」。どこまで自分がすべきなのか、どこまで手をかけるか、加減を難しく感じたという。
 
「自分の企画にも、周りから依頼されることにも、ひとつひとつこだわりたいけれど、そうすると今度はほかのことがおろそかになってしまう。バランスが難しいです」
 
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(今年1月から岸良で始まった「みんな食堂」にてカメラを構える田中さん)
 
4月からは肝付町観光協会の職員として働くことが決まった。
 
「地域の活動にはプライベートで参加することになるので、どんな役割を担えるのか不安ではあります。『ナゴシドンのつなぎ手』についても、自分を含め、ほかの実行委員や地域のみなさん、そして参加者が、かかわりやすく、継続しやすい形を模索したい」と話す。
 
また、観光協会の一員として「日本人も外国人も大隅に来やすい仕組みをどうやってつくっていくか、考えたい。また、観光の面で役に立てるよう、語学やデザインの感覚も磨いていきたいです」
 
肝付町を訪れたときには、ぜひ肝付町観光協会にも立ち寄ってもらいたい。
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