肝付町に残る戦争の記憶

8月15日、終戦から78年を迎えました。肝付町には複数の戦跡が残されており、オリンピック作戦(※)に備えた重砲陣地や人間魚雷回天発射基地などを今でも確認することができます。今回はそれらの戦跡跡を紹介し、平和の尊さを考えたいと思います。
※オリンピック作戦とはアメリカ軍やイギリス軍を主力とする日本本土上陸作戦。九州南部の志布志湾が上陸予想地域と考えられた。

【回天発射場跡】

肝付町内之浦地区の小串集落には岩場を人工的に掘削した人間魚雷「回天」の発射基地があり、今も3基の発射場跡を確認することができます。以前は機体を送り出すレールが敷設されていたそうです。

▼基本情報
https://kankou-kimotsuki.net/archives/introduce/human-torpedo-base-ruin-in-kogushi

【海蔵集落の要塞跡】

砲撃の目標までの距離を測定するための施設だと考えられています。外部からの攻撃に耐えられるような強固なつくりになっていて、地面にそって横長の空間があります。そこから敵艦までの距離を計測し、砲台からの攻撃に役立てたと思われます。

▼基本情報
https://kankou-kimotsuki.net/archives/introduce/trace-of-fortress-in-kaizo

【砲台跡】

肝付町に残されている多くの砲台跡は山が自然の守りとなるように斜面のおくまったところに造られ、地形を十分計算に取り入れられています。

▼基本情報
https://kankou-kimotsuki.net/archives/introduce/kaizo-park

▼特攻体験記はこちらをご覧ください。

  • コメント: 0
  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)